すべての障害者に障害年金を!障害年金の請求・審査請求・再審査請求を代行いたします。障害を負っている人、 難病を患っている人、年金を請求する人と同じ目線で考えます。平成17年開業以来、一貫して年金相談業務に従事。 NPO法人障害年金支援ネットワーク会員。 対応地区:神奈川・東京・千葉・埼玉・静岡・山梨・茨木。


 生き生きライフ神奈川年金相談室     [ブログぽかぽかダイアリー]


 社会保険労務士石川勝己事務所


   〒247ー0074 鎌倉市城廻682−5
   TEL/FAX   0467-47-5869

記事一覧 (29.02.04)
映画「ざ・鬼太鼓座」

(29.01.29)
セミナー「年金と定年退職準備」の講師を務めました


(29.01.07)
鎌倉市内:稲村ケ崎温泉に行ってきました

(28.01.04)
(エッセー)今年こそは

(27.12.26)
(エッセー)師走

(27.11.17)
(エッセー)私の十八番

(27.10.20)
(エッセー)心配り

(27.09.29)
(エッセー)家族の掟

(27.09.22)
有益だったベネッセ地域医療・介護フォーラム

(27.09.16)
「クレイマー、クレイマー」から「ゴッドファーザー」まで

(27.08.17)
円覚寺の盆踊り

(27.07.30)
(エッセー)夏風情

(27.07.01)
(エッセー)私の大好物

(27.06.04)
(エッセー)弱みと強み

(27.05.08)
(エッセー)第一日曜日の朝

(27.05.05)
(エッセー)ふかし芋の思い出

(27.05.03)
(エッセー)路地

(27.03.31)
やっぱりすごい、千鳥ヶ淵の夜桜

(27.03.20)
すでに満開!フラワーセンターの玉縄桜・河津桜

(27.02.01)
(エッセー)節分

(27.01.20)
(エッセー)猫

(26.12.28)
マイペースでスポーツとクラシックを―――お正月の過ごし方

(26.12.01)
静岡銀行、三井住友銀行、横浜銀行の平成27年カレンダー

(26.10.10)
(エッセー)我慢強さ

(26.08.25)
(エッセー)道楽

(26.07.28)
(エッセー)カード犯罪に遭いました 被害額は4件で62万円…

(26.07.21)
(エッセー)自分の年金は自分で確かめる

(26.07.07)
(エッセー)硬膜下血腫入院・手術の記

(26.06.28)
鎌倉中央公園の半夏生

(26.06.01)
大船フラワーセンター、蓮の開花期に特別開園

(26.02.01)
(エッセー)としつきの速さ

(26.01.14)
(エッセー)トイレが教えてくれたこと

(25.10.17)
10月受給分から減額――恩給期間のある公務員の高額年金

(25.06.27)
(年金エッセー)老齢基礎年金の受給者利回りについて 実は相当な高利回り

(25.05.22)
(年金エッセー)少しずつ変わりつつある公的年金―--60歳になっても年金はもらえない

(25.03.30)
今年の桜、咲くのも早い、散るのも早い

(25.03.17)
山脇直司教授の最終講義を聴講
                   ―「共生のためのグローカル公共哲学」

(25.03.07>
(エッセー)3月7日の梅の開花

(25.03.07)
庭の梅が花開きました

(25.02.17)
歩け歩け運動「早春の旧江ノ島道を歩く」

(24.12.29)
見ごたえがあったメトロポリタン美術館展

(24.12.21)
12月21日の瑞泉寺のもみじ

(24.9.17)
重度の知的障害と自閉症
ー映画「ちづる」ー


(24.7.16)
大船フラワーセンター
  はすの花鑑賞


(24.7.1)
労働政策フォーラム
「若者は社会を変えるか
ー新しい生き方・働き方を考える」


(24.3.4)
METライブビューイング
ワーグナー〈ニーベルングの指環 第3夜〉《神々の黄昏》


(24.1.22)
平和のつどい 詩の礫(しのつぶて)in鎌倉

(24.1.12)
映画『エデンの東』を観ました

(24.1.6)
『舌耕』とは・・・・

(23.12.28)
12月28日の鎌倉の紅葉

(23.11.12)
国立大学のトイレにもウオシュレットはある

(23.11.03)
「横浜FPフェスタ」が開催されました

(23.11.01)
認知症アンケート調査

(23.10.27)
大船駅頭年金・労働相談会

(23.10.22)
NPO法人障害年金支援ネットワーク総会

(23.10.09)
神奈川県社労士会主催 そごう前街頭相談会

お役立ちリンク







NPO法人障害年金支援ネットワーク

厚生労働省

日本年金機構

全国社会保険労務士会連合会

総務省(年金記録問題)

内閣官房(社会保障改革)

国立社会保障・人口問題研究所

国家公務員共済組合連合会

地方公務員共済組合連合会

日本私立学校振興・共済事業団

全国健康保険協会

企業年金連合会(企業年金)

国民年金基金(国民年金基金連合会)

個人型確定拠出年金(国民年基金連合会)

日本FP協会

公益財団法人生命保険文化センター

金融広報中央委員会(知るぽるとー暮らし・年金を確認する)

公益財団法人さわやか福祉財団

社団法人全国年金受給者団体連合会

全日本年金者組合

ぶろぐ:生き生きライフぽかぽかダイアリー

≪29.02.04  映画「ざ・鬼太鼓座」≫

渋谷のミニシアター ユーロスペースで映画「ざ・鬼太鼓座」を見ました。
映画監督加藤泰 生誕100年 幻の遺作 というふれ込みです。
浅学非才ですのでこの監督のことはほとんど何も知りませんでした。映画のポスターを見たら、電子音楽・一柳慧、 美術デザイン・横尾忠則とあるではありませんか。この二人のことは多少は知っています。
一番の興味は太鼓の演奏でしたが、そればかりではなく映画としても素敵な映像で引き込まれました。
地面の土を掘って、その穴からふんどしひとつで大太鼓に立ち向かう林英哲を下から撮影した場面もあります。
佐渡で集団生活をしながら伝統芸能を極めようとする若者たちの青春映画でもある、と思いました。





≪29.01.29  セミナー「年金と定年退職準備」の講師を務めました≫

本日、神奈川県茅ケ崎市勤労市民会館主催の一般市民対象セミナー「年金と定年退職準備」で講師を務めました。 昨年に続いて2回目です。
内容は年金のみならず健康保険、失業給付、介護保険、税金、働き方のいろいろ等多岐にわたりましたが、 やはり年金のことが最も切実な問題として受け止められていることを改めて痛感しました。
いわゆる退職準備セミナーの一つです。勤労市民会館の主催ですので参加費は無料、希望者はだれでも受講できます。
定年後の生活年月が長くなっていますから、退職準備セミナーの重要性も高まっています。企業や行政の積極的な取り組みを 求めたいと思います。
私見では、退職準備は遅くとも50歳になったら始めなければ、と思います。


≪29.01.07  鎌倉市内:稲村ケ崎温泉に行ってきました≫

年末から年始にかけて忙しく過ごしておりました。疲れを感じておりました。
温泉にでも使って疲れを追っ払おう、と思って、鎌倉市内にある稲村ケ崎温泉に行ってきました。
今日が3回目です。
とろっとした黒湯にゆったりとつかりますと、疲れも静かに消え失せてくれます。
内湯、露天風呂、サウナがあります。入浴料1,400円。
鎌倉駅から江ノ電で10分強、そこから歩いて5分という便利な所にあります。


≪28.01.04  (エッセー)今年こそは≫

 今年こそは、と新年の抱負を考え始めると、どうしても残る人生の長さをまず念頭に置いたうえでないと考えられないと 思い知らされる。仮に九十歳まで生きるとして、残るは十八年である。決して長いこれからではない。だとすれば、 この十八年という一応与えられた残りの人生をいかにして長いものにするか、言い換えれば健康寿命をいかにして 長いものにするか、ということと、この十八年をいかに密度あるものとしたらいいか、を考えざるを得ない。 ありがたいことには健康寿命を長くすることと残された人生を密度あるものとして生きることとは密接な関係がある。 端的に言えば、毎日を密度ある生き方をすれば、即、健康寿命を長くするということである。

 この指針を前提にしたうえで、さあ、この平成二十八年の今年こそは、どう生きればいいのだろうか。

 健康寿命を長くするには最低限の医学的検証、すなわち健康診断類を行わなければいけない。私の場合は一昨年に 硬膜下血腫の手術歴があるから、脳のCT検査は不可欠だ。また逆流性食道炎の既往症もあるから胃カメラ検査も そろそろ必要だろう。

 毎日毎日を密度高く生きるには・・・・・。新しい経験、出会いに直面することだろうが、それを避けてはならない。 相手が男であろうと女であろうとを問わず、新しい人間関係の構築をためらってはいけない。

 密度高く毎日を過ごすための極めて身近な対策は、日記を毎日毎日きちんと書く事であろう。一日一日をしっかり 振り返り見つめ直すことである。

 昨年は一体何日、日記が書けたであろうか。日記帳をくくって確認したところわずか四〇日であった。 これには愕然とした。如何に余裕のない生き方をしていたのか。

 さて、残された人生においてのライフワーク、すなわち死ぬまで続けるものに何があるか。私には、文章を書くということが ある。今年こそは文章を書く時間を充分に持ちたい。文章を書くことに堪能になるには文章を沢山書くことが肝要だ。 絵が上手になるには絵を沢山かくことだ、とは年末のFMシアターでやっていたラジオドラマ「ガンディンスキー伝」の 一節だが、文章にも同じことが当てはまるだろう。

 そういう意味でも日記を毎日書くということは重要だ。そのうえで、さしあたりエッセーを書く能力の一層の向上を期したい。 そしてできれば小説を書く事にも挑戦したい。

 次に、職業として従事しそれなりの収入を得ている社会保険労務士の仕事をどうするか。先輩の中には、これを天職として 生涯現役を宣言している人もいる。私の場合、そこまでの決心は固まってはいない。しかし現実に社会保険労務士会の 業務委託を得て年金相談をすることと、独立自営業者として障害年金受給支援をすることを二本柱として相応の収入も得ている。 二本柱のうち、前者の仕事は年齢の関係であと三年しかできない。そのあとどうするか。それを明確にすることが今年の課題 である。

 社会保険労務士としては、藤沢支部役員としての仕事もある。これは基本的にはボランティアだ。人々の役に立っている 実感があるが、一応任期はあと一年。そのあともう一期やるか。こちらは勧められたらやるというスタンスでいいであろう。

 また社会福祉法人が経営するデイサービスセンターでのボランッティア活動「日本の詩歌を声に出して読む会」がある。 いよいよ八年目に入る。我ながらよく続いたものだと思う。今までに得たノウハウをもとに、株式会社の有料老人ホームを 舞台にして、少しスキームを変えることはできないか。その場合はボランティアではなく一定の手数料を頂くことになる。 このスキームの転回は可能か。

 考えてみるとずいぶんたくさんの課題がある。果たしてやり遂げられるか。

 やり遂げられるか否かを心配するのは後回しにしよう。漫然と毎日を過ごすことが許されるほど時間は与えられていない。 それにつけても「今年こそ」の一年の課題が明らかになったことを喜びたい。これらをやり遂げるために努力することこそ、 密度の濃い毎日毎日を送ることそのものだと思う。


≪27.12.26  (エッセー)師走≫

 十一月の半ばを過ぎたころ、駅の入り口の階段前で年賀状の販売が始まった。そうかと思うと今度は「年末年始のご挨拶を ご遠慮申し上げます」という欠礼状が届くようにもなった。ああ、もう十二月か。

 私にとって十二月は率直に言って来てほしくない月”である。来てほしくないのはなぜか。いうまでもなく、 十二月は年の終り。残り少ない人生のうちの貴重な一年がまたすぎてしまったという冷厳な事実を突き付けられるからである。 曲がりなりにも一年の目標をある程度明確にしてこの一年を始めた。一か月、三か月、あるいは半年を過ぎるごとに、 もうこんなに過ぎてしまったか、安逸に毎日を過ごしていてはいけない、と自らを戒めて過ごしてきたが、その戒めもさほどの 効果を上げることなく、とうとう十二月になってしまう。そして自分に残された年月がまた一年少なくなってしまったことを 思い知らされる。

 来てほしくないけど来てしまう一二月。その十二月が来た以上は、しっかり十二月の務めを果たさないといけない。 一年の締めくくりの月だからやるべきことがたくさんある。それらをしっかりやりおおせないと、一年を総括して新しい年を 迎える心も整わない。

 会社勤めをしていたころの師走の大きな行事は、ボーナスをもらうということであった。もらったボーナスをどう使うか、 どれだけをどの手段・方法で貯金するか、決断しなければいけない。これらのことが師走の忙しさのかなり大きな部分を 占めていたと思う。今はそれはなくなったので、この月の自分の行事の大きなものは、来年のカレンダーの準備、年賀状書き、 忘年会、、といったところか。もちろん家の大掃除、庭の手入れも言うまでもない。

 カレンダーは銀行の一枚ものでいいものがあるからこれをもらって、家のあちこちに貼ることにしている。 洋画、日本画、仏像写真のカレンダーだ。これらは評判もいいので早めに銀行支店にいかないとなくなってしまうので 注意が肝心だ。

 年賀状には原則として最低ひとことは手書きで添えることとしているが、その年賀状を旧年中に書くことに納得がいかず、 年を超えてからせっせと書いていた時期がある。ところが、そういう年賀状書きがどうも一周遅れの振る舞いのように思われて、 以来、年の終わりのうちに書くことに改めた。旧年中に来るべき新年を想い、その気持ちを年賀状にしたためるのも 結構理に適っていると思う。

 忘年会は現役時代に比しその数は減った。若い頃は、また忘年会か、いい加減にしてくれ、と思うこともままあったが、 この年になると、一つ一つの忘年会を大事にする気持ちが強くなった。歳時記によると、年忘れ・忘年会は立派な季語で、 その始まりは室町時代にさかのぼるそうだ。

 仲良しの友人同士の忘年会ではなく、集団や組織のメンバーによる忘年会だと、いろいろな人と顔を合わせて語り合えると いうことが楽しさの一因だと思う。だから江戸時代の蕪村の弟子にこういう句もある。
   わかき人に交りてうれし年忘れ(几董〉

 ついでながら、仕事盛りの血気盛んな人が職場の忘年会で上司に一年分の不満をぶつけるという話も聞いたことがある。 忘年会には、一年のつもり持った不満も水に流す意味合いが昔からあったようだ。だからこういう句もある。 大橋桜坡子は大正・昭和期の俳人。
   年忘れ乱に至らず終りけり(桜坡子)

 そうか、十二月は一年を忘れる月だったんだなあ。あれもできなかった、これもできなかった、できなかったことの方が 多い。でもそれをくよくよ気に病んでいたらいい年は迎えられない。一年の苦労・後悔を忘れて新年に期す。いや、逆か。 新年に期して過ぎた一年の苦労・後悔を忘れてしまう。どちらでもいい、忘れることが大事なことだ。

 師走を迎え一年を不本意に過ごしてしまったとしても、残された寿命がその分減ってしまったというわけでもないことは ありがたいことだ。寿命は伸ばすことができる。

 外山滋比古氏が日経新聞で“忙しく生き、歳を忘れる”と語っているのを読んでうれしくなった。

 無限ではない寿命を生きるのだから毎日の生き方の密度を上げればいい。そして毎日密度の濃い生活を重ねる事が歳を 忘れさせてくれて寿命自体を伸ばしてくれる。

 忘年会に遅刻せず出席し、年賀状も年内に書き上げ、密度の濃い師走を過ごして新年を迎えたい。

≪27.11.17  (エッセー)私の十八番≫

先日、新聞を読んでいたら数字の計算が認知症予防に効果があるという記事が目に入った。これはありがたい記事だ、と 思わずほくそ笑んだ。数字の計算のはなしとはいえ、まさか高等数学の範疇に入るような複雑な計算のことではないだろう。 記事を読めば、足し算、引き算、掛け算、割り算程度でいいから、計算を普段からたしなんでいれば、認知症予防に効果がある、 ということが書いてあった。このレベルの数字の計算なら、私の得意技の領域である。

四則算は得意の領域、と宣言するにはそれなりの事情がある。実は小学校の四年生になったかならないかの時期から町の珠算塾で そろばんを学ぶようになった。昭和二〇年代の終わりの時期だったが、当時は小中学生が通う塾といえば珠算塾と書道塾が双璧を 占めていた。私の通っていた珠算塾は信用金庫の職員さんの奥さんの経営による個人塾だったが、大変繁盛していて、 何人かの学校のクラスの同級生ともその塾で顔を合わせていた。

商工会議所が二、三か月おきに検定試験を行っていて、生徒は一人残らずその試験を大事にしていた。九級から順番に、 数カ月ごとに試験を受け、次の級に昇級していくわけである。見取り算、掛け算、割り算、伝票算、暗算の科目だったと思う。

他に特別な楽しみもなかったので、さぼったりはせずに普通に勉強していた。市や、さらにはもっと広域での珠算コンクールに 塾の代表として何度か参加させてもいただいた。そして小学校六年になる直前に、日本商工会議所の珠算検定試験の一級に 合格したので、もうこれ以上やる必要はないだろうと勝手に思い込んで、珠算塾に通うのをやめた。

日商の一級に合格するほど腕を磨いてもっとも得をしたことは、日常のこまごました計算を暗算で済ませることができるように なったたことである。知人や同僚が電卓で結論を出す前に私が暗算で済ませてしまう、ということが日常茶飯事だ。 一級に合格しても、練習をしないでいると腕は鈍る。指の運び方はてきめんに悪くなる。しかし暗算の技術は指の運び方ほどには 劣化しない。なぜなら、日常生活の中で暗算を使うことができるからだ。社会人になったころは九桁の 数字一二三四五六七八九を九回足し算すると一一一一一一一一〇一になるという計算を暗算で楽しんでいたものだ。

一級に合格してからもう六〇年以上も経つてしまったから、さすがにもうこのような桁数の暗算はできない。 目下のところは何とか四ケタの足し算引き算ならこなすことができる程度だ。手持無沙汰の時に自分で思いついた数字を 次から次に足してゆく、時に積み重なった数字を五や二で割ったり、掛けたりして数字合わせを楽しんでいる。 毎日欠かさずにやっていると気のせいか、頭の中がすっきりするし、頭のめぐりも早くなるようだ。

珠算の効用はどんなところにあるか。あらためて確認したくなって日本珠算連盟のホームページを見ると、 次のような力が付くと書かれている。注意深く観察する力、イメージやひらめきの力、記憶する力、集中する力、 情報を処理する力、早く聞き早く読む力。そうですか、イメージやひらめきの力も付きますか、とうれしくなる、 なぜそうなるのかはよくわからないが。他の五つの力がなぜ身につくのかということは、自分自身の経験に照らして納得できる。

日商の一級に合格した時点で珠算の勉強を辞めてしまってことについて、これでよかったのだろうか、と思うことがある。 珠算を通して四則の計算に長じたのであれば、数字の世界からさらに進んで数学研究の世界に踏み込んだらどうなっただろうと 考えることもある。

早くに大学進学は文系、と決めてしまっていたので高校の数学の勉強も真剣には取り組まなかった。数学は算数のような単純な 世界ではないと思うが、そういう数学の世界の論理に触れることなくここまで来てしまったことは少し残念だ。

何はともあれそろばんは実技の世界の中にある。しかし計算の実技の向上にとどまらず、集中力の涵養、脳トレーニングの効用も ある。年若くしてそろばんの勉強に取り掛かることができたのは幸せだった。珠算の能力を仕事とか就職のために 使うことはなかったが、おかげで今日暗算を楽しむ余裕も身に付けることができた。自分自身が意識することは なったかもしれないが認知症予防にも貢献してくれた。

今後もせっせと暗算の数字遊びを楽しむことにしたい。


≪27.10.20  (エッセー)心配り≫

先日、東京のあるホールで開催された認知症ケアのシンポジウムで、八十六歳の高名な精神科医が、 「若いころは目標達成一筋で生きていたが、人生の下り坂に差し掛かると、今まで目に見えていなかったことが 見えるようになった」ということを強調しておられた。

この先生ほど高齢ではないにしても、ある程度年を重ねて会社勤めとも離れると、私だってたしかに、今まで目に見えて いなかったことが見えるようになる。今まで気が付かなかったことに気がつくようになる。こういうことが、年を重ねて、 仕事の重圧から自由になることの大きな恩典であると思う。周りが見えてくるのだ。そこで周りの人や物に対する気配り、 心配りが可能となる。

さて気配りと心配り、どう違うのだろうか。違いはないよ、そんなことを詮索する意味はないよ、といわれそうだが、 この相違点を詮索しないと心配りの大事な要素を見逃してしまうのではないか。

手始めに「広辞苑」にあたってみた。次のように書かれている。

 気配り  不都合・失敗が無いようにあれこれと気を付けること
 心配り  あちこち気を配ること。心づかい、配慮

これだけでは気配りと心配りの違いはよくわからない。気配りが、粗相がないように、つまりどちらかというと消極的な意図に 基づいているのに対し、心配りはもう少し前向きな意図に基づく配慮、心づかいのことを言っているようにも受け取れる。

心配りは、ある程度特定された相手に、しかも単に粗相がないことだけでなく精神的な癒し・充足感を感じてもらうことを 意図した心づかいではなかろうか。こう考えるとわかりやすい。

新聞に「幹事の気配り」と題する面白い表現があった。職場のミーティングでいつも上司が一歩的にしゃべってしまって 盛り上がらない。そういう場合にはできるだけ参加者の多くに発現させるよう配慮することが大事、 これが幹事に求められる気配りだ、と。

このミーティングの参加者の一人がかねてから問題提起したい課題を抱えていた。その人のために話題をその課題の方に 運んでその人の発言しやすい環境を作って発言させる、ここまでくれば心配りというものだろう。

例えば夫を亡くした意気消沈している知人、一周忌が過ぎたのを機に、家に招いておしゃべりして励まそうと計画する。 飲み物は、御菓子は、どんな話題を、と招く方は思案する。これは心配りの領域だ。

有名な利休七則には次のようにある。
一.茶は服の良きように点て
二.炭は湯の沸くように置き
三.花は野にあるように
  四.夏は涼しく冬暖かに
五.刻限は早めに
六.降らずとも傘の用意
七.相客に心せよ

これは茶会を催すときに必要な気配りの集大成と考えればいい。豊臣秀吉を招いての茶会で、彼はどのような心遣いや配慮 をしたのだろうか。それが心配りだ。

時間と心に余裕をもって生活できるとき、周りや相手のことを思い、考えながら暮らすことができる。 そこから気配りや心配りが芽生える。高齢者だけでなく仕事に勤しむ人も含めて人々が周りや相手のことを 思いながら暮らすようになったら、気配り・心配りがあふれる素晴らしい社会ができることだろう。

気配り、心配りをすることもやさしいことではないが、その気配り、心配りを受け止めるのも簡単なことではない。 する方も、される方もそれなりの感受性が求められる。でもその感受性は、お互いに気配り、心配りを重ねること によっておのずから育まれるものではないだろうか。


≪27.09.29  (エッセー)家族の掟≫

往年の名画『クレイマー、クレイマー』を再び観ることができた。アカデミー作品賞をはじめ、たくさんの賞を受けた ことに裏付けられているように、現代社会の夫婦と家族の在り方を自分の身に即して考えさせてくれる名作である。

ビジネス社会での昇進のために日夜奮闘するテッド。自らの才能も社会に生かしたいという妻ジョアンナの思いを理解できない。 そんなテッドに耐えられず、ジョアンナは八年間の結婚生活に幕を閉じ、家を出てデザイナーとしての自立の道を歩む 決断をする。ひとり息子のビリーに「悪い母親を許して」と言い残して。

だが、家を出て仕事は一応軌道に乗ったものの、ジョアンナはビリーのことを忘れることはできない。いったん子供を置いて 家庭を出たという負い目と闘いながら、ジョアンナは親権の承認を求める裁判を提起。育児に翻弄されながらも失業の 苦境を覆して日夜奔走するテッド、当然子どもは渡せない。法廷で弁護士同士がせめぎ合って主張される元夫婦それぞれの親 としての適格性と不適格性。結果はジョアンナの勝訴。だが、ビリーを迎えにきたその日、ビリーが育った思い出多い家から ビリーを引きはがす道をジョアンナは選ばなかった・・・・・

いろいろなことを考えさせてくれる映画だ。

家庭の在り方を夫と妻が二人で決めることができればそれは二人の約束ごとあるいは夫婦の掟として、二人を導いてくれるように なるだろう。しかしこれがなかなかできない。アメリカのように個人の自由と自主の尊重が進んでいる社会でもできない。 クレイマー夫婦に典型的にみられるように、どうしても、「稼いでいる夫」の意向が優先してしまう。妻は家にいて家事・育児に 専念して欲しい、というテッドの意向はジョアンナにとっては、自らの手足を縛る桎梏としての「家族の掟」に化してしまう。

ひるがえって日本社会を前提として家族の在り方を考えると、クレイマー夫婦のような軋轢はむしろ常態であるのかもしれない。 耳にたこができるほどに聞かされているように税金・労働・社会保険等の社会の仕組みそのものが性別役割分業を前提として 組み立てられているからである。

我が家のことはどうなっていただろうか。

妻は結婚する前は教職についていた。しかし自分の仕事よりも親の介護と家事を優先させたようである、結婚の話が出るころには 仕事から退いていた。四人の子供の末っ子で兄や姉は早くに家を出ており、老境を迎えた両親のことを知っているのは自分だけ、 という責任感も相まって、結婚後も実家の年老いた両親のことも常に気にかけていたい、自分が必要な面倒も見たい、 それを認めてほしい、ということを話し合ったことを憶えている。つまりこれが私たち二人の掟だった。

二人の子供の育児に父親としての責務を果たしえたかというとまことに心もとない。男は仕事、女は・・・・という規範に どっぷり漬かって生きていた。しかし育児が一段落し、妻の実家の両親の老後が心配になりだしてからは、何とか掟、 すなわち二人の約束事を守り通すことができた。おかげで妻は両親の老後の看護・介護については悔いることのないほどに 打ち込めることができたし、私の方は私の方で、炊事・洗濯・料理等の家事を「主夫」として何とかこなせるようになった。

「掟」は自分たちが納得して作ったものであればしっかり守ろうという気にもなる。一方的に押し付けられたものとか、 納得もしてないのに外から、上から、あるいは昔からあったものとして与えられる「掟」はなかなか守りにくい。 時には自分を縛る桎梏と化す。

家族はもちろんのこと家族以外の人に対しても、「世の中の基準」とか「世間の常識」と称するものを錦の御旗にして人を 縛ったり、鋳型にはめ込もうとするようなことは慎みたいと思う。人間としての自由や自主をお互いに大切にし合いながら 生きていきたい。

当事者が納得して作る「掟」の内容はさまざま。だから家族の在り方は様々。夫婦の在り方も同じ。 加えて同性同士の結婚さえも認められる時代に入ったので多様性はますます増大する。

二一世紀は、自由と自主を土台とする、豊かな多様性の世界だ。多様性を認め、尊重することは当然のこととして、 その多様性を楽しむ新しい時代に少しずつ踏み込んでいる予感がする。


≪27.09.22  有益だったベネッセ地域医療・介護フォーラム≫

去る9月21日、日経ホールのベネッセ地域医療・介護フォーラム『認知症 ケアの現在とこれから』に出かけました。

長谷川和夫先生の基調講演「みんなで考える認知症ケアー正しい理解とやさしい地域づくり」と杉山孝博先生の特別講演 「認知症家族が必ずたどる4つの心理的ステップ」がありました。

両先生は、認知症研究・認知症治療とケアそれぞれの部門の第一人者でいらっしゃいますので, お二人とも大変示唆に富む有益なお話でした。

パネルディスカッション「みんなで支える認知症」も行われました。パネリストは両先生と「認知症の人と家族の会」 の世話人の方、家族会員の方の4名です。

認知症介護にあたっている家族や患者自身からの質問事項を討論のテーマとしましたので、論点が明確で、 とてもわかりやすいパネルディスカッションでした。細かいことですが進行役(主催会社の幹部社員の方)の話しぶりが、 とても謙虚かつ誠実で、しかも発音(滑舌調音)がいいので聞きやすかったことも申し上げたいと思います。

全体を通して、主催者の誠意が伝わってくる気持ちのいい催しでした。


なお杉山先生が発表された原稿類は
こちらで見ることができます。
(次の順で検索  川崎幸クリニック→「初めての方へ クリニック概要」→「院長ご挨拶」)



≪27.09.16  「クレイマー、クレイマー」から「ゴッドファーザー」まで≫

鎌倉にある「鎌倉市川喜多映画記念館」でこの7月から9月にかけて、往年のハリウッド名画の数々が上映されました。

私が観ることができた映画の作品名、制作年、主な出演者を挙げると次の通りです。

追想(1956年、ユル・ブリンナー、イングリッド・バーグマン、ヘレン・ヘイズ)
クレイマー、クレイマー(1979年、ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ)
大脱走(1963年、スティーブ・マックイーン、ジェームズ・ガーナー)
007/ロシアより愛をこめて(1963年、ショーン・コネリー、ダニエラ・ビアンキ)
真夜中のカーボーイ(1969年、ジョン・ボイト、ダスティン・ホフマン)
天国の日々(1978年、リチャード・ギア)
ゴッドファーザー(1972年、マーロン・ブランド、アル・パチーノ)
ゴッドファーザーPARTU(1974年、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ロバート・デュバル)

他にも、私は見ることができなかったが次のような作品も上映されました。

キュリー夫人(1943年、グリア・ガースン、ウオルター・ピジョン)
華麗なる賭け(1968年、スティーブ・マックイーン、フェイ・ダナウエイ)
情婦(1957年、タイロン・パワー、マレーネ・ディートリッヒ)
サンセット大通り(1950年、ウィリアム・ホールデン、エーリッヒ・フォン・シュトロハイム)

これらの名画の感想を一つ一つ書いていたら、紙幅はいかほどになることでしょうか。それはこの場では断念せざるを得ません。

最低限のこととして次の諸点を記します。

・「クレイマー、クレイマー」は36年も前に制作された映画とは思えない。「家族」「夫婦」に関してこの映画が提起する 問題状況は、今この時点でも決して色あせていない。

・「クレイマー、クレイマー」が取り上げたテーマは、「家族」「夫婦」。「ゴッドファーザー」「ゴッドファーザーPARTU」が 取り上げたテーマと重なる部分が大きい。

・「ゴッドファーザー」の公開当時のパンフレットには「単なるギャング映画ではなく社会性を持つ人間ドラマと評されている。 『風と共に去りぬ』をしのぎ、今世紀最大のヒットが確実視されている」とあるが、私見でも『風と共に去りぬ』を 上回るエンタテイメント映画、だと思う。

・「ゴッドファーザーPARTU』も201分があっという間に過ぎてしまう。アル・パチーノだけでなく、ロバート・デ・ニーロの 若き日の姿も見られる。
どうでもいいことかもしれないが、この映画ではアル・パチーノは猫背姿で登場する。これは演技か、それとも実の姿か。 アル・パチーノが背中もすきっとさせていたらどうなるのだろう。若くて猫背だからこそ、ゴッドファーザーとしての迫力が否応 もなく観る者に迫ってきたと考えたい。
この映画をひとことで形容したらどうなるか。私は「悲しい映画」だと思う。人生の悲しい場面、悲しい局面がためらうことなく 活写されている、という意味で。


≪27.08.17  円覚寺の盆踊り≫

8月15日、16日、17日の3日間、北鎌倉・円覚寺で恒例の盆踊りが開催されました。 広い境内の、山門の周囲が踊りの場です。夜7時からの開会でしたが、闇が深まるにつれ参加者が増え、踊りの列は何重もの 輪になりまして、9時過ぎに閉会しました。


















≪27.07.30  (エッセー)夏風情≫

梅雨も明けていよいよ夏本番。夏をどう過ごすか。どう楽しむか。

私が思うには、とにかく夏は暑いにこしたことはない。ああ、夏だなと思って夏を楽しく過ごすには暑いことが不可欠だ。 これがわたしのいつわらざる気持ちである。

かんかん照りの日差しが街の建物や道路に降り注ぎ、その光が町の建物や道路にはじき返されているかのような、 暑いばかりでなく、光が飛び交って眼がまばゆい日がある。夏にしか見られない陽射し。だからそんな日には、 本当に夏を感じる。これこそまさに夏の風情そのもの、と思うのだ。夏はこれでいい。

こんな陽射しがあるからかき氷がおいしい。こんな陽射しに責められているから、たまにふく一陣の風に揺れる風鈴の音が 何ともいえない涼味をもたらしてくれる。

暑い夏を肯定するにはそれなりの事情もある。元来、体質的に汗をあまりかかない。真夏でもスーツの上着を着ていることも 多く、周りから「暑くありませんか」といわれるのも再三のことだ。暑いことが苦にならない。

もう一つの事情は、万人共通のことだが、生活様式の変貌で夏がすごしやすくなったということもある。 クーラーが普及し、いつでも涼しいところへ逃げ込むことができる。飲料も多様化し、のどを潤すのに苦労はない。 つまりかんかん照りの陽射しをしのぐ手段が多くなった、ということだ。もっともそのおかげで懐かしいかき氷の ありがたみが減じてしまったのは残念だが。

夏の風情について物申した以上、平安朝時代の大エッセイスト清少納言にも一言ご挨拶を申し上げねばいけないだろう。 清少納言は、四季それぞれの風趣を述べた枕草子の有名な第一段で、夏については「夏は夜。月の頃はさらなり、 闇もなほ、螢の飛びちがひたる。雨など降るも、をかし。」と書いている。夏は暑きことこそおかし、 などとは一言も書いてない。夏の風情・風趣について、私の見方とは全く相いれない。

全く相いれないのであるが、枕草子が書かれた古い昔を思えば、清少納言の言うこともよくわかる。 一千年もの昔といえども、夏の暑さは今とあまり変わらなかったのではあるまいか。その夏の暑さの中で、 宮中ではどんな過ごし方をしていたのだろうか。日常生活の避暑法にはどんなものがあったろうか。 貴人は女官が扇を仰いで送ってくれる風で涼をとることはできたし、扇子もうちわもあったことだろう。 扇風器の替わりとしてこの程度のものはあった。牛車で外出するのも一苦労だったことだろう。 着る物はどうだったか。宮中で貴人や女官が浴衣姿、というのも想像できない。ついでに言えば風鈴も、 この時代にはまだ考案されていなかったようである。

日中は暑さでくたくた。午睡を取るなどして暑さの和らぐのを待つしか手はなかった。そうであれば暑さの去った夜にしか 夏の風趣を感じることはできなかったと思う。枕草子の「夏は夜。・・・・」の一節は夏のうだるような暑さを前提として 書かれたものだ。

ついでに言えば、藤原敏行の有名な次の和歌も、連日の身を苛むような激しい暑さを前提として出来上がったものだと思う。 この歌に触れる時私はいつも、この風の音はどんな音なのでしょうね、と問いかけることにしている。 おそ夏のある日、ほんの束の間に漂う風がもたらす涼味を音として感じたのだろうか。

   秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる

文明の発達のおかげで夏の暑さを避けるのも容易となった。しかしそういう文明の恩恵に浸ってばかりいると、 そのおかげで私たちの季節感が鈍化してしまう恐れもあり、気を付けなければいけない。

夏のうだるような暑さを体いっぱいで受け止めて、清少納言は夏の夜の風情を、藤原敏行は夏の終わりの風の音の 涼しさを後世に教えてくれたのだ。


≪27.07.01  (エッセー)私の大好物≫

毎日毎日、朝昼晩の3回必ず食事をとっていて多種多様の料理・食材を口にしているわけだが、あまり食べ物に好き嫌いはない。 食卓に出されたものはだいたいはすべて食べてしまう。そんなわけで、いったいあなたの好物は何ですか、 とあらたまって訊かれると答えに窮してしまう。

小学生のころだから、今から六十年も昔のことだ。暮らしも豊かな時代ではなかった。そんな時代だからたまに 家の夕食にカレーライスが出るとうれしかった。間違いなくカレーライスが自分の好物であった。あの頃はカレーライスを 好物とする人は結構多かった。地元中日ドラゴンズのエース投手もそうだと新聞に載っていた。そしてカレーライスと ライスカレーはどう違うのか、が面白おかしく議論されていたものだ。

その後はいろいろなカレーライスを食して舌も肥えたのだろうか、おいしいカレーとそうでないカレーとの区別もできるように なった。カレーライスを食べる回数はさほど多くはないが、渋谷に行ったときには必ず立ち寄ることにしているカレー店も できた。ここのカレーは本当においしい。学生時代からだから、もう五十年近く通っていることになる。ここまでくれば、 この店のムルギーカレーを胸を張って私の大好物とすることができよう。

小さいころの好物で忘れられないのは、蟹である。これはもっぱら父親のおかげによるものだ。父は蟹が大好物であった。 私の小学生のころは蟹もまだ豊富に出回っていて、我が家でも年に何回かは町の魚屋でバケツ一杯買うこともあった。 それを赤くゆでて食べる。甲羅をうまく操って味噌をなめ、身をほぐす。慣れればそんなに難しくはない。 小学生の分際では随分贅沢な好物ということになるが、それは蟹が稀少の魚になってしまった今日の言いぐさである。 当時は蟹が安かった。父親が蟹好きだったのでその相伴にあずかることができたというわけである。

年と共に好物も変わる。中年になってそばにはまった一時期があった。その時期鎌倉市内の蕎麦屋の食べ歩きを試みた。 市内を散策する都度、近くの蕎麦屋に入って味を確かめ、お店の品定めをするのだ。鎌倉市内では蕎麦屋の数は結構多い。 どちら方面を散策しても必ずそれなりの蕎麦屋がある。そしてどの店もその店なりに自分の店のそばに矜持を持って いることが感じられた。そばの味、舌触り、ゆで具合、たれの味等それぞれの店の優れた点を明らかにしていくのは 結構楽しかった。その品定め歩きの余波なのだろうか、今でも見知らぬ蕎麦屋へ始めて入る時は軽い不安感と緊張感に おそわれる。

小さいころから今日まで一貫して好物であった食べ物に気が付いた。それはラッキョウである。高校を卒業するまで、 家での毎日の食卓に必ずと言っていいほど出された。母の自ら漬けたラッキョウだ。味付けを変えるというような 巧妙なことは母はしなかったから十年一日のごとく、同じ味のラッキョウであった。ほんの少しの量だけど、 毎食必ず口にしていると、たまさかそれがないときには食事を終えた気にはなれない。 ラッキョウとはそういう付き合い方だった。

そのラッキョウも品薄になったのだろうか。カレーライスのお店に行けば、かっては必ずラッキョウと福神漬けが添えられて いたものである。それがいつの間にかラッキョウが姿を消した。福神漬けはかろうじて居残っているが、 ラッキョウはいつの間にかきざみ沢庵にとってかわられた。カレーライスにラッキョウがないと本当に閉まらないと思う。

最近、沖縄の島ラッキョウを出す焼き鳥屋に出会い、そこへ行くときには必ず島ラッキョウから始めることにしている。 カウンター席十五ぐらいの小さな店だけど四時半の開店早々満員になる。満員になると焼き鳥が出てくるまで結構時間を 要することになる。そんなときはまず島ラッキョウをつまみにのどを潤す。小皿の島ラッキョウだけで一合ぐらいは持つ。 こんなことができるのは島ラッキョウがおいしいからだとは思うが、それ以上に、小さいころからラッキョウに なじんできた自分の舌と喉がそうさせるのだろう。ラッキョウを私の大好物の一つとする所以である。


≪27.06.04  (エッセー)弱みと強み≫

年を重ねてきたからだろうか、それとも単に毎日の瑣事に忙殺されているからだろうか、このところ自分を省みるということが 少なくなった。。たまには自らを静かにみつめなければ・・・・・

省みるといってもどんな視点で省みるのか。色々な視点がありうる。あれこれ思案して結局、自分の弱み・弱点はどんなことか、 を考えるのが一番手っ取り早いと気が付いた。

そんなわけであらためて自分の弱み・弱点を考えてみると、これがたくさんあって困ったものだ。理屈っぽい、思いやりがない、 協調性がない、自信過剰、等々挙げだしたらきりがない。

でもこんなふうに自分の弱点を列挙したところで何になるか、という疑問もわいてくる。わかっているのは、これらの、 たくさんある自分の弱みが相互に関係しているらしいことと、どのように関係しているかを他人に説明することが極めて むつかしい、ということである。自分だけがわかっている、ということである。

別に、傲慢に、思い上がって"自分だけがわかっている"というわけではない。なにせ自分の心の在りようのことなのだから 自分だけがわかっている、ということも至極当然なことだ。

もうひとつわかっているのは、自分の弱み・弱点も実は強み・長所の裏返しでもある、ということだ。論理的とか、 毅然としている、ブレがない、首尾一貫しているとか。ということは、弱みや弱点がたくさんあるのであれば、強味・長所も またたくさんある、ということになる。弱みや弱点がたくさんあるからといって悲しむには至らない。

弱み・弱点と強み・長所。これらは物事、つまり自分という人間の裏と表のことだ。だから自分の弱み・弱点をなくすなどと いうことは不可能だろう。そんなことをしたら強みの方もなくなってしまう。いきつくところ、せっかくの自分という 人間が自分でなくなってしまうことになる。

強みと表裏一体となった弱みを大切にしながら、弱みが弱みとして自分の行動に顕現しないようにする、強味・長所として 現れるようにするということぐらいが人間としてできることの限度であろう。そしてそれとても多大な努力を要する ことでもある。

沢山の弱み・弱点と強み・長所が日々の生活の中で少しずつ、そして次から次へと姿を現す。それらの弱みや強みの内実や 相互の関係を見つめ、弱みを強みに変えるにはどうしたらいいかに思いを馳せる、それが内省ということなのだろう。


≪27.05.08  (エッセー)第一日曜日の朝≫

今日は八月四日、今月の第一日曜日。私たちの住む住宅団地の朝の清掃日だ。とんでもない暑さ。しかし雨でもない限り清掃日は 清掃日だ。

一応9時から開始する約束になっているので、その時間になると団地内のそれぞれの家の前で道路の清掃が始まる。 コンクリートやアスファルトで舗装されているので道路の清掃にはさほど時間はかからない。いつもだいたい十五分ぐらいで 終わる。

それを終えたら、団地のほぼ中央部に位置している小公園の清掃に取り掛かる。

五百坪弱の小さな公園だが、入り口は2つ、鉄棒やブランコも設置されているし、砂場もある。アジサイやつつじの植栽も施して あるし、公孫樹、桜、藤等の木もある。季節によっては枯葉の除去等相当な作業量になる月もある。6月、7月に比べ今月は 楽そうだ。

草取り、病葉の除去、ゴミ拾い、剪定・・・・みんなで手分けして作業する。別にリーダーとか世話役とかが、 あれこれ指図することもない。

二〇分もすれば一段落済んでしまう。手の空いた人たち同士で楽しい会話が始まる。

もともとは山を切り開いて開発された住宅団地七〇世帯でスタートした自治会だ。周辺の端切れ地の開発によって自治会加入戸数 も百世帯を超えるようになった。かっては働き盛りの住民ばかりだったので、近所付き合いなるものは極めて影の薄い ものだった。八つの班に分かれて班長を決め、その班長が自治会役員会を構成する。そして、この班長が一年ごとの 持ち回りなので、誰もが必ず班長を経験する、それがきっかけで、なんとか近所付き合いが保たれている、というような面も あった。

久しぶりに、Sさんの顔が見えた。お互いのカミさん同士が親しかったので私たちも仲良しになった。 ャスリン・バトルのコンサートに四人で出かけたのも懐かしい。もっともSさんの奥さんは数年前若くして亡くなって しまったので、Sさん自身は今は広い戸建の家に1人暮らし。

「お久しぶりですね。そういえばこの間整形外科のリハビリコーナーでお目にかかりましたね。私は膝に電気マッサージ、 指にレーザー光線を当ててますが・・・」

「いやー、リウマチでしてね、大変ですわ…」とひとしきり痛みに呻吟する苦労談が続く。

「この年になると認知症にならないようにしないといけませんね、何でも毎日十五人以上の人と話をするといいそうですよ」。 ひとり暮らしのSさんが、人との付き合いも乏しくなっていないかと余計な心配をして聞きかじりの知識を投げかけてみた。 幸いなことに、かっての職場の同僚としばしば会う機会があるし、スポーツ振興のボランティア仲間との付き合いも結構 忙しい様子であった。

清掃が終わったところで、自治会役員からの連絡事項がある。

今日は自治会館を使って卓球を楽しむサークルを作るという話が出た。サークル結成の発起人は行政書士のHさんだ。 私の家の裏の端切れ地の開発話が出て業者との折衝で苦労したとき、自治会長だったHさんに助けてもらったといういきさつが ある。この、Hさんの話が終わると、今日もまた、Tさんが手を挙げて卓球サークル反対論をぶち始めた。 いつもの通りの、よく通る大きな声である。
「卓球でどたばたやったら自治会館の床が抜けてしまうのではないかと心配だ。自治会館を立て直すのには金がかかる。 卓球は自治会館の前の広場でやったらいかがでしょうか」
自治会館前の広場は一応芝生が植わっている。しかし地面は決して平坦ではない。そこに卓球台を置く?いささか乱暴な話だが、 みんなそんなことは口に出さずにやり取りを聞いている。
Tさんとも、カミさん同士が親しいので私も少しは人となりを知っている。。Tさんは元会長氏や私とは一回りほど年上で、 最近年齢的な疲れと奥様の健康がすぐれないこととがあいまってなのであろうか、若さを隠そうともしない元会長Hさんには 何かと一言おっしゃることが多い。Hさんも、ひとこと言われたらそのまま引き下がるというわけではない。 この団地の自治会には長老といわれるような人は存在しないのでHさんも遠慮はしない。議論の始まりの時には、 お互いの主張がとてつもなく離れていて、どのように収束するのか不安の念で受け止められていたものが、 あれこれやり取りを重ねて、、自然に落ち着くところへ落ち着く。みんなもうそういうことに慣れっこになっているので、 誰も何も言わない。
「業者に頼んで床が抜ける危険性がどれほどあるか測定してもらいましょう」というHさんの提案できょうのところはお開きと なった。
、 この話がどういう落着をするのか、興味を掻き立ててくれるので、これからも清掃活動の参加者は減らないであろう。
自治会からの連絡事項も終わってこれで解散。九時四五分だ。帰りがてらKさんと話をする。一緒に自治会長と副会長をやった 仲間だ。市内の総合病院でしばしば顔を合わせる。
「前立腺がんはその後どうなりましたか」と私。
「実は手術をしましてね。すっかり治りました」
「え、そうでしたか。私は血液検査を定期的にやってフォローしています。膝と指のリハビリもしっかり通っています」
「あそこのリハビリの先生は腕が立ちますね。膝が悪かったのですが、転院をしましたら注射一発で直してくれました」
いい話ばかりでうらやましい。少し太って見えたので遠慮せずに言ってみた。
「少しお太りになったのではありませんか」
「そうなんです。あまり心配ごともなくなりましたのでよく食べるようになりました。これが私の通常の体重です」
月一回のこういう機会でないと会えない人がほとんど。みんな久し振りの対面を楽しんでいる。 私の家の前の家の桜の木の木陰で、五人ものご婦人がにぎやかに笑いあっている。
このようにして、八月の日曜日のそれぞれの生活が始まる。


≪27.05.05  (エッセー)ふかし芋の思い出≫

高校二年の時のことだから、五十年以上も前のことである。晩春のある日、土曜日午前中の授業も終わり、親しい仲間七、八人で 近くの公園に繰り出した。草はらに寝そべって思い思いのことを喚き散らしてうっぷんを晴らしていた。そのうち誰かが 「近くにヒロコさんの家がある、みんなで行こうじゃないか、な、中条、いいだろう?」といった。

ヒロコさんは学年全体を代表するマドンナ。男はみんな程度の差はあれ憧れの思いを胸に秘めていたし、中条に至っては、 自らの思いを隠しとうすことができずに、それをだれかれとなく男仲間に吐露してもいた。遅い春の陽気は若い気持ちを 高揚させてくれる。話は即座にまとまった。

ヒロコさんは愛想よく我々を座敷に招いてくれた。中条も含めみんな、抜け駆けはいけない、という遠慮心からか、 それともニキビ繁盛の田舎高校生にして、そもそも女性とかっこよく会話を交わす能力なんぞ持ち合わせていないからなのか、 せっかくのマドンナを前にしてだれも気の利いたことをいえない。脈絡もなく、当たり障りのないことをしゃべっているだけ。

しばらくしてヒロコさんの母上が、大きな皿二枚に盛ったふかし芋を差し入れてくれた。ヒロコさんは一瞬顔をしかめたが、 すぐに気を取り直してどうぞ、どうぞと勧めてくれた。

マドンナの前で行儀の悪いマネはできない。さりとてせっかくのおやつを食べないのは失礼にあたる。みんな恐る恐る ふかし芋に手を出して食べた。どこの家でもおやつの定番だったふかし芋、ヒロコマドンナのお宅でもそうなんだ、 と感激と安心のないまぜになった思いを味わった。そのせいでもあるまいが、ヒロコマドンナ宅のふかし芋は我が家の それに比し一段と甘みと柔らか味があった。みんなよく食べた。食べているうちはヒロコさんとどんな会話をすればいいか 頭を悩ますこともないので。

あれから、もう五十年以上。今、あの時の仲間や、ヒロコさんをはじめとするマドンナ達が集い、年に一度在京クラス会を 開いている。場所はいつも日比谷公園にある高級レストランの一室。五十年の歳月を経て、みんな聴くこと話すことが楽しくて いつも時間が足らない。群馬県に住んでいる中条もいつかはこの会に引っ張り出そうと思っていたら、先般、七十を前に この世を去ったという情報が入ってきた。「死に急ぐんじゃないよ、中条!」と思わず叫びたくなった。

今度の在京クラス会では、中条を偲びたい。写真の前にサツマイモも置こう。そしてあのふかし芋のつくり方はどんな工夫が あったのか、ヒロコさんに聞いてみようと思う、いつものようにワインと高級フランス料理も楽しみながら。


≪27.05.03  (エッセー)路地≫

いつぞや、NHK教育テレビの「美の壺」という番組で、鎌倉の美しいところは路地にある、ということを取り上げていた。 路地に面した垣根をせっせと手入れしている住民がそのことを強調している場面もあった。三十年近く鎌倉に住んでいるので、 そういわれればそうだな、と感心した。鎌倉でも旧鎌倉といわれる、古くからの鎌倉の一帯には確かにいかにも「路地」と いいたくなるような一角はある。そんな路地を歩くときには家々の道路に面した庭木を眺めるのも目を休ませてくれる。 人家と人家の間の狭い通路、せいぜい小型車一台が恐る恐る通り抜けるぐらいの、消防車は入れないぐらいの道幅。 そんな狭い通路に隔てられているに過ぎないので、家々もたがいに気を配りながら共同の生活空間を静かに守っていこうとする 息遣いが感じられる。

私が今住んでいるのは、旧鎌倉とは程遠い、北のはずれの、山を切り開いてできた新興住宅地の一角。それでも路地らしき趣は ある。バスどおりを左にそれて南に向かって坂を上がると私たちの住宅団地に入る。この団地を突き切る道はない。 つまり団地に入る道は行き止まりになっているのだ。だから団地の住人以外の人が団地内に入ってくることもあまりない。 だから私たちの団地に入る道も、団地の中の道も、道幅は狭い。小型車が何とかすれ違う程度である。 この道路を通学の生徒やバス停まで行く人、あるいは散歩の人が徒歩で通る。

住宅団地として一つの自治会を形成し、毎月1回はそれぞれの家の周辺を清掃し、そのあと団地の中心にある公園に集まり、 その公園の清掃をする。近隣の方と顔を合わせるのはこの機会しかない。月にたった1回の催しだが毎月毎月行われていると、 お互い顔見知りになり、生活空間を共有していることも認識され、団結心も知らず知らずのうちに育まれていく。

どの家々もそうであるが私の家も、道路と自分の住宅地との境目として、あるいは自分の宅地の囲いとして垣根を設けている。 この垣根をしっかり手入れしないとご近所の人に申し訳ないと思う。生活道路を行き来する人のほとんどは同じ団地に住む住人。 そういう人に不愉快な思いはさせたくない。縦2メートル、横7メートルのウバメガシの緑の絨毯のような生垣とその隣の 一本のヒイラギモクセイを手入れするのはそんなに簡単なことではないが、手入れをすればそれなりの見栄えを呈して くれるので半日掛りの作業にも熱が入る。

ところで、「路地」という言葉は、今日一般的には「人家の間の狭い道路」の意で用いられているが、広辞苑によれば、 「路地」は「露地」とも書き、もともとは「屋根などのおおいがなく、露出した地面」とか、「草庵式の茶室の庭園」、 「門内または庭上の通路」の意もあるという。

これは私の勝手な想像だが、「人家の間の狭い道路」という意味も、実は一つの住宅団地や生活空間自体を一つの家若しくは 庭と見立て、その大きな家若しくは庭の中の人家の間の狭い道路を、屋根などのおおいがなくて露出した部分とか門内または 庭上の通路と見立てて、「路地」として表現するようになったのではなかろうか。

このように考えると、大小さまざまの住宅団地や生活空間もそれ自体がひとつの門の中にある家若しくは庭なのであって、 路地は、その家若しくは庭の中の屋根などのおおいがなく露出した地面、庭園の中の通路ということになる。一つ一つの住宅は、 お互いが寄せ集まって一つの家若しくは庭を形成しているということになる。路地に面した家々がお互いに気を配りつつ、 一つの生活空間を大切に守ろうとするのもむべなるかな。

露地は将来どうなるか。一つの地域が何十年ごとに再開発されてしまうのであればその都度道路の幅は広くなるかもしれない。 しかしそれにも限度がある。車の通らない道の幅を広くしても意味がない。家々がお互いに寄り添ってひとつの生活空間を形成 していこうとする限り露地はなくならない。庭に通路が必要であるように、生活空間には人が行きかう道路が不可欠だ。 生活環境や生活空間を共有しているという意識が住民にある限り、路地はなくならない。そういう意識が強いほど 路地は路地らしいたたずまいを呈することになるのではないだろうか。


≪27.03.31  やっぱりすごい、千鳥ヶ淵の夜桜≫

3月31日は東京の桜が満開。翌日から天気が崩れるという予報ですから、その31日に千鳥ヶ淵の夜桜を見に行きました。 せまい通路は押すな押すなの混雑でした。行き交う会話から、東南アジアからの人を含め、外国人が結構たくさん 来ていることを実感しました。昼間テレビでもやっていましたが、上野公園のお花見にも外国の方が たくさん訪れてくれたとのことです。日本の庶民の素晴らしい楽しみが世界に広がることは喜ばしいことです。
写真技術が拙劣のため、夜桜の美しさを十分とらえきれていないのは残念ですが、雰囲気の一端でも伝えられるよう、 写真を掲載します。
















≪27.03.20  すでに満開!フラワーセンターの玉縄桜・河津桜≫

鎌倉市に在る県立フラワーセンター大船植物園では、春の花がすでに満開になったり、つぼみを膨らませています。
本日3月20日では、玉縄桜と河津桜が満開です。
玉縄桜は当フラワーセンターで開発された花種で、染井吉野より早く開花し、咲いている期間も長いのが特徴です。
鎌倉では、満開の玉縄桜に見送られて学び舎を後にした若者も多いことでしょう。

玉縄桜1



玉縄桜2


玉縄桜3
]


河津桜1



≪27.02.01  (エッセー)節分≫

一月ももう終わり、今日は二月の一日、月日の経つのは早いものだ。つい先日お正月を迎えたばかりなのに、 あと数日で節分を迎える。

一年を四つの季節に分け、さらにそれぞれの季節を六つの期間に分けたのが二四節気。二四節気の季節の変わり目が、 立春、立夏、立秋、立冬で、その前日が節分である。これによれば節分は年に四日あることになるが、今日では主として 立春の前日のことを指して節分といわれる。季節の変わり目にはとかく邪気がはびこる、と信じられた。 その邪気を退治する趣旨でこの日豆まきが行われる。

物ごころを覚えた時分に、家で「鬼は外、福は内」と豆まきをしたことはよく覚えている。もちろん、その豆まきが どんな意味を持ったものかわかるはずもないし、考えることもなく大人になった。毎年この日にお寺や神社で行われる 豆まきの催しにも参加せずに今日までに至ってしまった。

季節の変わり目には人間の体は変調を来しやすい。これは昔も今も変わることはないであろう。 科学的知識の乏しかった古の人は、この時期、人の身に病気を起こす悪い気がはびこると信じた。 その悪い気、邪気は、鬼や悪魔によってまき散らされる。その邪気、すなわち鬼や悪魔を懲らしめるために豆まきをするのだ。 目に見えない鬼や悪魔をめがけて豆をまきながら、人々は自分の体を自分で守らなければ、と決意を新たにするわけである。 節分の日の豆まきも、単なる迷信とは片づけられない、合理的な側面を有している。

あらためて二十四節気のことを考えてみると、それがくらしの本質的な面をきちんととらえていることに気が付く。 そして自然科学の知識や測定機器類もなかったであろう時代に、どうしてこのような体系的な認識が出来上がったのか驚く。 今日でも夏至、冬至、春分、秋分の二至二分、立春、立秋、立夏、立冬の四立等は、生活に不可欠の知識として 定着している。

二十四節気のこのような考え方は誰が作り出したものなのか。二十四節気は、ある時期に突然に発明されたわけではなく、 多くの人々によって段階的に整備されてきたものである。古くは中国の殷や周の時代にも似たような知識はあったらしい。 以来、多くの時代の沢山の人々の知識や英知が重ねられて中国で生まれたものが、日本の風土に合わせて改良されて、 今日の二十四節気はでき上った。節分、彼岸、土用、八十八夜、入梅、二百十日、半夏生等の雑節も二十四節気を補うために 日本で生み出された成果である。

これこそまさに文化というものであろう。幾時代かの、たくさんの人々の叡智の決集。

もっと大規模な「叡智の結集」もある。キリスト教の聖書は、たくさんの人々の言行録だそうだ。
人間は立派なものを作り上げてきた。二十四節気もそうだし、聖書もそうだが、一言で「文化」もしくは「文化遺産」と して括られるものがそうである。

もちろん人間はいいものばかりを作り上げてきたわけではない。元ドイツ大統領ワイツゼッカーが直視を訴えたナチズムを 中核とするドイツの戦争犯罪。わずか二十年程度の時間に人々とドイツを暴力と人種差別と他国侵略に駆り立てた。 ドイツ国民こぞってそれに狂奔した。

日本にだって同じようなことはあった。治安維持法・国家総動員法等による民意の徹底的な弾圧をベースにした軍国主義体制と 近隣国家への侵略戦争。政治家や軍人はもちろんのこと、男も女も、新聞・ラジオも一般市民も、まるで狂気に浮かされた ようにして国を挙げて、社会を上げてこれに加担した。

人間は、いや人類は、といった方がいいかもしれないが、多面的で、一筋縄ではいかない存在なのか。立派な文化を長い年月を かけて作り上げる。しかしその一方で、あっという間に国家的・集団的蛮行に走る。

長い歴史を考えると、人類はまだまだ発展途上にあるのであって、成熟の域には程遠い、と考えたほうがいいのかもしれない。 成し遂げた立派なもの、節分や二十四節気を始めとして、生活の中に息づいている先人の知恵の結集、すなわち文化的遺産や 文化そのものを大切にすることを通して、犯した蛮行に対する反省の思いを確かなものにする、その積み 重ねの営為が求められているのではないだろうか。


≪27.01.20  (エッセー)猫≫

村上春樹の小説「海辺のカフカ」を読むと、猫と対話する能力を有する老齢男性ナカタさんと、猫を割いてその心臓をうまそうに 食べる男性ジョニーウオーカーが出てくる。前者は戦争中の小学校の野外授業で突然気を失い、記憶そのものを うしなってしまったナカタ少年の、知的発達も十分には得られずに大人になった姿として描かれ、 後者は主人公である十五歳の少年カフカの父親に擬せられて、この小説の虚実ないまぜられた世界でナカタさんに 殺されてしまう登場人物だ。
村上春樹はそのエッセーでも何度か書いているが、相当な猫好きだそうである。その村上春樹の小説の中で猫に対する 親密性では全く対照的なこの二人の人物がどういう意味合いを帯びているのかかなり難解である。ナカタさんは猫に対しては もちろんのこと人間に対しても純粋にやさしい気持ちでしか接することができない好人物である。それに対して、 猫の心臓をおいしそうに食べてしまうジョニーウオーカーは、主人公の少年カフカとして、どうしてもなじむことのできない 父親の一面を象徴するものとして描かれているのかもしれない。

幸いにも猫を食べたいと思った事は無いし、格別猫を虐待したこともない。知人の家ですっかりその家になついている 猫の背をなでて、その柔らかな感触に少し驚いたことはあるが、とにかく、猫をかわいく思ったこともないし、 どちらかといえば嫌いな存在だ。格別好きにはなれない、いやどうも猫だけでなくペットそのものが好きでないと いった方がいい。小さいころから、猫や犬を自宅で飼いたいと思った事は無い。せいぜい金魚ぐらいか。 もっともこれも一週間もたたずにすべて死なせてしまったが。

家の周りにもよく犬を散歩させている人に出会う。そういう人が、見知らぬ同士だが犬を介して親しく語り合っている 姿もよく見かける。数十年前だが、社会の新しい市民勢力についての勉強会で、ある学者が、ペット愛好家が街づくりを 推進する社会的勢力になる可能性がある、と熱弁をふるうのを耳にした覚えがある。

犬や猫をかわいがっている人を見てわが身と対比すると、自分はひょっとすると生き物に対する情が薄いのかな、 と思ってしまう。その結果、町中で犬や猫を連れた人と仲良しにもなれず、健全な社会的勢力からも疎外されてしまうのかな、 とその都度少し心細さを感じる。これって、言ってみればペットコンプレックスかな。

しかし少し考えただけでも、わたしのこのペットコンプレック――情が薄いのか、とか、社会的勢力から仲間はずれに されてしまうのか、といった思いも、とりこし苦労であることに気づいてほっとする。

犬も猫も、愛好家はペットとして愛玩しているのだろう。生活上の趣味の一つ。文具を宝物のようにいつくしむのに似ている。 犬も猫も、声は出すし、体で感情をあらわすこともできるのは優れている。 いっしょに暮らして、ある種の癒しや潤いを感じることができるのもうなづける。

犬も猫も、愛好家はペットとして愛玩しているのだろう。生活上の趣味の一つ。文具を宝物のようにいつくしむのに似ている。 文具がしゃべったり体を動かしたりはできないのに対し、犬も猫も、声は出すし、体で感情をあらわすこともできる。 いっしょに暮らして、ある種の癒しや潤いを感じることができるのもうなづける。

しかし、猫も犬も人間と対話ができているわけではない。思想・感情を共有することができているわけではない。猫同士も犬同士 もそうであるし、猫と犬もそうである だから、猫や犬と人間が、あるいは猫や犬の愛好家集団が手と手をつないで社会改革に立ち上がったという話も耳にしない。
猫や犬を飼って、家族同然に扱って暮らしていく気持ちの余裕がなかなか持てない。ペットの命、そのかわいらしさよりも 人間の命、人間のかわいらしさの方が大事でしょ、といいたくなってしまう。猫や犬にもいろいろな表情があるらしいが、 映画を観たり小説をよんだりすると、人間のいろいろな表情や感情に出会えるよ。

目下の自分の毎日をあらためて振り返ってみると、人間同士がひしめき合うような世界で生きている、 と表現できるかもしれない。人と自分との意見の違いを確認しそれを調和させるためにあくせく。せめて 映画・演劇や 文芸作品を通じてこの人間世界の様々な襞を味わうこともしたいと思うがそれすらできていない。 だから猫や犬等ペットを大切にしてその一挙手一投足をいつくしむ生活とは程遠い。何時かはそういう生活になるだろうし、 その折は「海辺のカフカ」のあの老人のせめて足元には達せるよう、猫との対話に挑戦してみたいと思うが、 果たしていつのことか。


<!--

≪26.12.28  マイペースでスポーツとクラシックを満喫―――お正月の過ごし方≫

もういくつねるとおしょうがつ・・・・・こんな懐かしい歌を口ずさむか否かは別として、お正月をどう過ごすか、 頭をひねっている方も多いことだろう。私の場合は簡単、あれこれ考えるまでもない。ここ10数年来、お正月はスポーツと クラシックをNHKテレビで楽しんでいる。まったくマイペースの楽しみ方だ。

前哨戦は31日。夜8時からN響"第9"演奏会。続いて9時20分から11時55分までクラシックハイライト2014。 どっぷりクラシックに漬かって1年の垢を流す。
"第9"の方は、かつては12月中旬に放映していたと思う。あるいはFMと同時の実況生中継だったかもしれない。 今日では実況生中継はFMで。幸いにも12月中旬の夜、聴くことができた。大みそかの"第9"は、行く年を想い、 くる年を考えるには格好の音楽だし、生中継ではないにしても歌手・指揮者・楽団員さらには合唱団員の表情をまのあたりに してこれらの人の奏でる音楽を聴くのは臨場感があって身に迫ってくる。

そして1日。昼はサッカー天皇杯決勝が毎年あったが、アジアカップの影響で12月に行われてしまったので今年は 女子サッカー皇后杯。夜は7時からウイーンフィルニューイヤーコンサート。ウイーン歌劇場コンサートホールからの 実況生中継だ。途中必ずバレー(Vallet)コーナーがある。確かウイーン国立バレー団のトップダンサーたちによるもので、 優雅・上品かつ華麗。精神的にリッチな気分になれること必定。かっては馬術演技もあったが今年はどうか。

2日。昼は大学ラグビー準決勝2試合。今年は早稲田、明治共に準決勝には進出できなかった。 帝京―慶応、東海―筑波で争われる。夜は「こいつぁ春から~」の東西歌舞伎中継。毎年ポピュラーな出し物がほとんどで、 歌舞伎に造詣なんかなくても楽しめる。

3日。昼は初笑い東西寄席。夜はニューイヤーオペラコンサート。世界に通用する日本人トップ歌手の出演なので楽しめる 。

いうまでもなく、いずれも入場料は要らないし、交通費もただ。

これらの合間を縫っておせち料理を口に運んだり、お屠蘇を頂かなければいけない(別にいけない わけではないけれど、誰でもお屠蘇気分ぐらいは味わいたいだろう)から結構忙しい。

テレビ番組については、今年は、「ウイーンの甘い秘密カフェめぐりの旅」「京都南禅寺界ワイ別荘群」 という番組もある。


≪26.12.01  静岡銀行、三井住友銀行、横浜銀行の平成27年カレンダー≫

いよいよ師走12月。
本日から銀行支店で来年のカレンダーを頂くことができる。
忙しさに紛れて支店に出向くことができずに目当てのカレンダーをもらい損ねた苦い思い出もある。 そこで今年は早速本日、わずかの時間を利用して3つの銀行からカレンダーを頂いてきた。 いずれも私が気に入っていて毎年手に入れているものである。

横浜銀行  東山魁夷の絵のカレンダーだ。平成27年度カレンダーの画題は「森の静
      寂」。

三井住友銀行  毎年洋画を採用。27年版の絵はゴッホの「ひなげしの咲く野原」。

静岡銀行  毎年仏像を取り上げている。1953年から、とのことである。
      27年版の仏像は福島県河沼郡湯川村勝常寺所蔵の「国宝 木造薬師如来坐
      像」。東北で初めて国宝彫刻に指定された仏像。
      平成27年1月14日から4月5日まで、東京国立博物館で特別展「みちのく
      の仏像」が開催されるが、そこには両脇侍立像とともに展示される。

カレンダーの大きさはいずれも横51.5cm、縦72cm。
絵と写真の大きさは、
      横浜銀行     横44.5cm、縦33cm。
      三井住友銀行   横45.5cm、縦36.5cm。
      静岡銀行     横39.5cm、縦51cm。


≪26.10.19  蜘蛛が巣を張っていました≫

昨日、庭へ降り立ちましたら、2階のベランダを支える柱と庭のアロエの植栽にかけて、蜘蛛が巣を張っているのを発見しました。 揚羽蝶やトンボはときどき見かけたことがありましたが、蜘蛛が大きな巣を張っているのを見たのは初めて。 特段不便を来すこともありませんので、そのままにして、せっせと巣を張るのを見届けることにしました。 なお、蜘蛛は昨日は家に向かって背を向けていましたが本日は裏返って、家に向かって腹を向けていました。 写真は、上が背、下が腹です。










≪26.10.10  (エッセー)我慢強さ≫

恒例の居酒屋某での懇親会の日時の通知が来た。十月一日だという。

硬膜下血腫の手術をして三日間の入院を経て退院したのが4月十三日。その時に当分の間の禁酒を申し渡された。 一か月後の診察日にも、CTの結果は良好であったものの、アルコール解禁とはならなかった。 さらに二か月後の七月末にも診察がありCTも撮った。経過は順調で、特段のことがなければ今後受診の要なしとの ことであったが、なおしばらくは禁酒したほうがいいという。それなら、というわけで、九月いっぱいは禁酒を 継続するよう周囲にも宣言した。それで、断酒期間が明けた一〇月一日に恒例の懇親会が設定されたという次第。

体はぴんぴんしているのに五カ月以上もの間アルコールを断っていると、我慢強いですね、と知人は言う。 しかし本人にしてみれば我慢しているつもりはない。酒席でもノンアルコールビールかウーロン茶で 付き合うのに苦労はなかった。自分の健康のこと、命に関わることともなればアルコールを断つ程度のことは 何ほどのことでもない。

「我慢する」とは、何らかの欲望を抑える、抑制することだろう。耐え忍ぶこととも言えよう。 「我慢強い」とは、その抑制や忍耐の度合いが著しいとか、その期間が長いことを言うのだろう。

振り返ってみると、まだ小さかった頃はご多分に漏れず我が家も決して豊かとはいえなかったので、 食べる物にも着る物にも我慢をしていた。間違いなく、我慢をしていたという実感がある。 運動会での級友のバナナのおやつが本当においしく目に映ったものである。

大学受験勉強に励んでいた期間も、多くの欲望を断って我慢していた時期かもしれない。ただ、この期間は我慢 した期間というよりも頑張った期間といった方が正しいかもしれない。

頑張るとはどういうことか。国語辞典にもあるように、忍耐して、つまり我慢して、努力し通すことである。 「我慢」プラス「努力」が「頑張る」。
先日の日経新聞夕刊で心理カウンセラーの山崎雅保氏がインタビューに応えて次のように語っていた。

"戦争中、日本国民は国力以上のものを発揮するよう求められ、我慢と頑張りを強いられてきた、 頑張れという言葉は限界を超えろという意味とイコール、「頑張れ」ばかり言うのは危険、 場面や状況に応じて心を尽くすやさしい励まし方を。"

家族、知人、上司をはじめ、外的な力に強いられて我慢することは苦しい。我慢してかつ努力することを 強いられるのはもっと苦しい。大学受験勉強で頑張った日々は、自分の学力を高める、すなわち現時点での限界を 突き破るための努力の連続の日々であった。その努力は他人に強いられたものではなく、自分自身が自らに課したものであった。 だから一年もしくは二年の短い期間であったが、頑張ることができた。猛勉強が可能となった。

豊かで平和な社会となり、国を挙げての我慢や頑張りの強制はなくなった。しかし組織や対人関係レベルでの頑張りの 強制は例えば前出の山崎氏のインタビュー記事で触れられているようにまだ数多くみられる。

「頑張る」の一歩手前、「我慢」については、する、しないは今日では個人の裁量次第となった。 集団や組織から強いられる我慢もあるだろうが、理不尽なものは許されなくなった。 自分が自分自身に課す我慢が最も多いのではないか。夏の暑さの中でも水分を摂らない方がいい、 と教えられていた時期の残滓が体内に残っているのか、長い間真夏の暑さの中でもあまり缶ジュース等は 摂らずに過ごしてきたが、今年の夏はそうはいかなかった。心して水分の摂取を心掛けて何とか暑い夏を 乗り越えることができた。

やせ我慢に代表される無理な我慢は禁物。自分の生理的欲求、心理的欲求に素直に従った方がいい。 集団や組織から求められる我慢が少なくなるに伴い、我慢強いからといって称賛されることも少なくなった。 「我慢強い」という言葉もやがて死語になるのかもしれない。


≪26.08.25  (エッセー)道楽≫

  昔だったらとっくに隠居を決め込んでいた年代になってしまったこともあって、自分にはいい意味でも悪い意味でも、 道楽というものがあるのかないのか、考えこんでしまった。いい意味での道楽とは、本職以外の健全な、生活を豊かにする 趣味を言うのだろう。悪い意味での道楽とは、本業もそっちのけになりそうな、放蕩に結び付きかねない楽しみのことだろう。
  さいわい、身を滅ぼしかねない悪い道楽にふけったことは冷静に振り返っても心当たりはない。その反面、 生活の中で熱心に取り組めるような、道楽といえるような趣味というものもあまりない。強いて挙げれば、 ありふれたものではあるが、読書、音楽鑑賞、映画鑑賞、絵画鑑賞くらいか。月に一度、サークルで勉強会を やっているのだから朗読もエッセーを書くことも趣味としてあげてもよさそうだ。
  ただ、私の趣味は、どちらかというと受け身のものが多いし、いずれも道楽といえるほど熱心には励んでいない。おまけに数が多いと、 自分では思うので、どことなくディレッタントめいて気が引ける。だから、これが趣味ですと力強く広言することはできるだけ避けてきた。
  しかし、よく考えてみると私のこのような道楽・趣味観は少し間違っているようだ。鑑賞という受け身の楽しみも立派な 趣味・道楽たりうる。またもともと道楽は、本業以外の、という大前提があるから取り組み方や取り組みの程度は人さまざまで あって、趣味・道楽たるための一定の基準はない。玄人はだしのものもあれば初心者として楽しむレベルのものもある。人さまざまで あっていい。ディレッタントという言葉も、学問や芸術の専門家ではなくそれをアマチュアとして楽しむ人のことらしい。 よい意味でも悪い意味でも使われるそうである。よい意味でならディレッタントといわれても恥ずかしくはない。 ささやかな趣味のおかげで本を読んだり、音楽・映画・絵画に触れることの楽しさも自分なりにわかるようになった。 アナウンサーの話し方に、きれいだなあ、と感動することもできるようになった。
  中国の文人、すなわち学問を修め、文章をよくする人の「四芸」が道楽の典型かもしれない。琴棋書画、つまり琴を弾じ、碁を打ち、 書や絵を楽しむことは教養ある高士たちにとって大事なたしなみであり、高潔な人格をあらわす技芸とされていた。 書や画は当時の最高峰の水準であってその作品は今日にも伝えられている。文人たちはこれらの芸を飽くまで自らが 文雅を楽しむための余技として捉え、他者から職業的な営みと見られることを極度に嫌ったとのことである。
  趣味・道楽の根本はそれがその人にとって本業ではないということだとすると、毎日の生活の中で本業と趣味・道楽はそれぞれ どういう位置を占めるのだろう。
  たとえば定年退職者のように本業のない人は趣味・道楽にばかり時間を割いているのだろうか。そうではあるまい。趣味・道楽は あくまで個人の楽しみの領域に属する。これに生活時間のすべてを費やすことはまず不可能である。もしそういうことができていると すれば、それはその人が、趣味・道楽の域を超えて専門家の領域に踏み込んだことに他ならない。個人的な楽しみの領域から 専門家の水準を目指しての精進の世界・本業の世界へ。しかしこういう人は必ずしも多くはない。
  本業、すなわち職業の世界と趣味・道楽の個人的な楽しみの世界。そのほかにもう一つの世界があるのではないか。 それは社会貢献の世界である。たとえば、自治会の役員等の世話役、ボランティア活動、NPO等いろいろな団体の会員・役員等。
  人間は趣味や道楽の世界だけに生きることはできないのではないか。何らかの形で社会とのつながりを認識しながらでないと 充実した生を全うできないのではないか。職業は社会とのつながりを保証してくれた。職業世界から引退した高齢者にとって、 職業に変わって社会貢献の活動が社会とのつながりを保証してくれる。この世界はかつての本業の世界ほどではないにしても、 生活の一定の比重を占めることになる。新しい本業の世界。
  趣味・道楽は結局本業があってのものだろう。わたしもまだまだ趣味・道楽の世界だけに浸りこむわけにはいかない。 仕事や社会貢献活動を本業として、趣味・道楽も大事にして少しずつではあるけれども精進を重ねていきたいと思う。


≪26.07.28  (エッセー)カード犯罪に遭いました 被害額は4件で62万円…≫

(この記事はブログ型サイト『マネーの達人』に寄稿したものです。)
  6月中旬の日曜日のことだ。近くのスーパーで買い物をしてカードで決済しようとしたら、レジ器がうまく作動しない。 二、三度試行してもうまくいかない。上司と思われる男性と相談した後レジの女性が、済まなさそうな表情で言う、 「カードが使えません。現金での決済をお願いします。」おかしいなあ、と思いながら現金で代金を支払った。 「原因・理由はこちらでは分かりません。詳しいことはカード会社にお尋ねいただけませんか。」とレジ係員。
  翌日、さっそくカード会社に電話したところ、驚くべき事実が判明した。私のカード番号で、あるチケット会社での買い物が 短時間のうちに相次いで4件発生していたのだ。金額は締めて625,128円。
  カード会社でもこの買い物が私の本物のカードによるものではないということを突き止めることができたらしい。 念のため私に事前確認の電話をしたのだが、つながらなかったので独断でカードを使用停止にしていた。 現在保有しているカードは使えず、カードを再発行するため、申込書類を送るので必要事項を記入の上送り返してほしい、 ということであった。
  625,128円を請求するとは言われなかったので一安心したが、念のためその代金はどう処理されるのか尋ねたところ、 保険会社に請求する、とのことであった。
  数日後にカード会社から書類が送られてきた。「入会申込書」と「カードの使用・保管状況確認書」である。 後者の書類は、私が4件の不正使用分の請求に関してカードを使用してないこと、そのカードを不正使用された期間中常に 保持していたこと、そのカードの占有を第三者に移転したことは一切ないことを確認するためのもので、 保険金請求には不可欠である。
  いったいどうしてこんなことが起こったのか。盗難に遭った事は無いし、他人に貸したこともないので偽造もされないはず、 クレジットカードの磁気情報を不正に読み出してコピーを作成する手口のスキミングも、カードを人目に触れる場所には 置いたことがないので考えられない。いかがわしいサイトにカード番号や暗証番号を入力したこともないのでフィッシングの 事故にもあっていないと思う。
  そうするとワイヤータッピングか。ワイヤータッピングとは、盗聴してデータを不正に引き出すこと。 クレジットカード利用開始時に私がカード加盟店にカード情報を送信する。また加盟店とカード会社との間でも決済可能か どうかの通信がある。これらの通信を盗聴してクレジットカードデータを盗んで偽造カードを作るわけである。 カード会社の加盟店の暗号化対策がしっかりしていないとまんまと引っかかってしまう。私のカードの不正使用の手口は これかもしれない。
  たまたま、いつもパソコンンで入手している日用品を注文しなければならないことになった。安全のため今回は決済は カードではなく現金にするつもりでとりあえず注文サイトを開けた。商品を選択し「カゴに入れる」をクリックしさらに 「購入手続きへ」をクリック。ところが次にはインターネットエクスプローラーによるエラーメッセージが出た。
  赤い盾にバッテンがついたアイコンが添えられていて「この Web サイトのセキュリティ証明書には問題があります。 この Web ページで提示されたセキュリティ証明書は、有効期限が切れているかまだ有効ではありません。 セキュリティ証明書の問題によって、詐欺や、お使いのコンピューターからサーバーに送信される情報を盗み取る意図が 示唆されている場合があります。このページを閉じて、この Web サイトの閲覧を続行しないことを推奨します。」とある。 もちろん推奨に従ってサイトを閉じた。
  注文方法を変えて電話で、決済は商品引き換えとして注文した。電子通信を悪用しての犯罪は非常に増えているそうだ。 それにしてもまさか自分がそれに巻き込まれるとは…。
  この際、自分は電子通信の悪用に巻き込まれはしない、などという根拠のない安心とはきっぱり手を切りたい。 わたしたちがいつ巻き込まれてもおかしくないほどこの手の犯罪が横行しているらしい。情報を盗むという意味では全く同種の 犯罪である某進学ゼミ会社の事件の場合は、被害者は2千万人を超えるとか。
  世の中には残念なことに悪意の人間が存在する。犯罪防止の技術が発達すればその裏をかくテクニックも発達する。 サイトを管理する側の責任ある措置を求めたい。同時に、私たち利用者も、IDやパスワードの送信、 サイトの安全性・信頼性の見極めには細心の注意を払わなければいけない。今回、このことを身をもって教えられた。



≪26.07.21  (エッセー)自分の年金は自分で確かめる≫

(この記事はブログ型サイト『マネーの達人』に寄稿したものです。)
  私の事務所に遺族年金請求書類を添付資料も完備のうえ持参してきたAさんは、遺族年金の試算結果を聴いて失望の色を 浮かべた。知人から、夫の老齢厚生年金額の3/4と聞いていたので自分が受給する遺族年金の額もそうなるものと信じて いたのに、という。
  この話はいろいろな誤解が混在しているのではないかと思われる。
  そもそも夫の65歳から受給する老齢厚生年金は報酬比例部分と差額加算からなっている。 遺族厚生年金は報酬比例部分の3/4であって差額加算は遺族年金に反映しない。差額加算の額が大きい場合 にはその人がなくなった場合の遺族厚生年金額は老齢厚生年金額の3/4にはならない。
  また妻が遺族年金を受給する場合でしかも夫の厚生年金加入期間が20年以上であれば、妻の年齢によっては 中高齢加算579,700円(65才以上)もしくは経過的寡婦加算(たとえば妻が昭和20年4月2日生まれで、かつ65才以上であれば 212,600円)が加算される。
  遺族厚生年金は、夫の条件、妻の条件、死亡時の年齢等によって異なってくる。人さまざまなのである。 遺族厚生年金ばかりではない、老齢厚生年金もそうであるし、障害厚生年金に至ってはより一層そういう性格が濃厚である。
  年金額については、さまざまな前提条件に応じて決まってくるものである。他人の話を鵜呑みにしてはいけない。 テレビのバラエティ番組の年金談義についても振り回されないように冷静に受け止めてほしい。センセーショナルな一面的な 情報に一喜一憂するのではなく、あくまで自分の場合はどうなるか、という問題意識を持ってほしいし、 それを確かめるための労を惜しまないでほしい。
  年金相談は、FPや社会保険労務士、年金事務所や街角の年金相談センターで応じてくれる。気軽に出かけて行って、 自分の年金額は自分で確認してほしい。
  こういう心掛けが自己責任・自助努力の第1歩だと思う。



≪26.07.07  (エッセー)硬膜下血腫入院・手術の記≫

  救急車で病院に運び込まれ、即刻入院、その日のうちに手術したのが四月十一日。
  その二日前の四月九日はこんな具合であった。
  この日は社会保険労務士会年金研究会の年度初めの行事の日。研究会の幹事五人が一言ずつ挨拶する。 四番目に壇上に立つ。差しさわりのないことから始めて、いよいよ締めくくりをしようと思うが、言葉が出てこない。 言おうと思う言葉が頭に浮かんでこない。同じ言葉を二,三度繰り返している。しどろもどろとはこういうことかもしれない。 生まれて初めての経験だ。とにかく、よろしくお願いします、とだけは言うことができて壇上を下りた。
  会場の後片付けを終えて、近くの居酒屋での役員懇親会に向かう。ところが同僚役員諸氏は私のことを心配して、 飲み会なんぞはすっぽかして早く家に帰った方がいい、と忠告してくれる。私のあいさつがよほど異常だったらしい。 確かにここ数日、具体的にどこがどうとはいいがたいが、何となく身体がおかしい。しかも一日一日ひどくなっている。 この日の幹事挨拶で壇上に立った際にそれが決定的となった。自分自身認めざるを得ない。
  夕食後、パソコンを立ち上げようとして大事なことに気が付いた。ログインするためのパスワードを思い出せない。 あれこれ試してみたがいずれも駄目であった。ヘルプデスクに尋ねたが、はかばかしい返事はない。
  翌十日の木曜日。朝食を終えて早々に近所の内科クリニックに行く。ここでも病状がうまく説明できない。 「うまく言えません」と告白することはできたが、業を煮やしたらしい医師からは、「家族と一緒に来て欲しい」 とのメモを渡されて診察終了。
  意を決して午後一番に社会保険労務士会藤沢支部のK支部長に電話して事情を説明した。というのも、 翌々日の土曜日には社会保険労務士会の勉強会でのレポーター役を仰せつかっているからである。勤めることができないのは 明らかだ。一時間もしないうちに、K支部長がパソコンに詳しい役員のNさんと一緒に自宅まで来てくれた。 Nさんの試行錯誤の甲斐あってログインパスワードを変更することで勉強会用のレジュメも取り出すことができた。 K支部長にレジュメをお渡しして、緊急の代役をお願いした。相当の重症と受け止められたK支部長からはねんごろな お見舞いの言葉を頂いた。
  たまたまこの日の夕方に、中学校の同級生から電話があり、同じく同級生のW君がガンの治療を受けている、 励ましてあげてほしい、と頼まれたが、W君の電話番号をメモするのに一時間ほどを要する始末だった。
  そしてその翌日の十一日。いつもの時間に起床してズボンをはこうとしたが、うまくはけない。右の方によろける。 物音を聞きつけて長男が部屋にやってきた。長男の即断で救急車を要請し、近くの総合病院救急病棟へ運び込まれた。 この時、時計は午前8時を回ったばかりだったように思う。
  内心ひょっとしたら認知症かなと懸念がわき、というあきらめと同時にそれにはそれでという覚悟もあった。 「認知症ではないでしょうか」と医師に尋ねたところ、あちこちの反応を調べたうえ、首をかしげている。 そうこうしているうちに看護師が息子に説明する声が聞こえた。「一カ月前にうちの病院で頭をCTで検査しています。 それをもう一度します」。早速検査室へ。
  検査を終えて目を閉じているところへ看護師が来て言う。「即刻入院です、午後に手術します」。息子に確認したところ、 病名は「慢性硬膜下血腫」で、入院4日ほどで退院できるという。
  病状も日一日と進行しているせいか、それ以上何かを尋ねようとする気力も失せていた。ともかく認知症ではない、 手術がうまくいけば元に戻る、しかも入院期間は4,5日・・・、これだけわかれば十分だ、病人だから病人になりきろう、 それが最善だ、と自分に言い含めて静かに目を閉じていた。
  夕方、約一時間の手術。局部麻酔だから、頭の皮を切る音や、出血した血を洗う水の音も聞こえた。術後一日は体を 動かすこともままならず、静かに目を閉じているばかり。
  それに  それにしても、こうなるまで何か予兆がなかったのかと思いあぐねると、一つの思いが頭に浮かぶ。 まずはひと月前のCT検査のこと。
  健康診断で世話になっている別の病院で、頭のMRI検査を受けた、四,五日後夜十一時過ぎに帰宅したところ、 その病院から、何時でもいいから電話してほしいとの留守電が入っていた。そこですぐに電話をすると主治医が電話口に出て、 近日中に来てほしいという。翌日朝一番に行くと、検査結果が思わしくないので、と、脳外科のあるこの病院を紹介してくれた。 紹介状と検査結果のDVDを持って今入院しているこの病院の脳外科外来に行き、直ちにCT検査を受けた、 「硬膜下水腫」という診断。膜の下に水が流出している、直ちに何かをする必要はない、右半身に異常が来たらすぐ来院を、 ということだった。
  それがちょうど一カ月前のことだった。すっかり忘れてしまっていたが、ありありと思いだせる。そのころから、 頭の異常は少しずつ進行していたということもうすうすとではあるが実感できる。
  それにしても今回は息子の機転と多くの人たちのおかげで、無事手術することができた。 いくつかのの善意と幸運で頭の異常の原因がすぐわかり、すぐ手術することができた。 大難が小難、小難が無難にすみ大事に至らず一安心。それにしてもラッキーだったと言わざるを得ない。

  目下、眼、耳、食道、膀胱の小さな異常と付き合っているが、今後さらに頭の病気とも付き合っていかなければならない。 頭の異常とはどんなことか、なんとなくわかるような気がする。異常を異常と感じないことが異状なのだろう。正常な日々の中で 異常には常に気を配り、頭の病気とも前向きに付き合っていけそうだ。


≪26.06.28  鎌倉中央公園の半夏生≫

  鎌倉中央公園に出かける機会がありました。今を盛りに咲きほこっているのは半夏生です。適地(日の当たる湿地)が 少なくなって絶滅も危惧されている植物です。
  白い部分は花弁ではありません。葉の片面(表面)です。花序は穂のような部分です。
  名前の由来は、暦の半夏生(グレゴリオ暦で7月2日ごろ)のころに花を咲かせるから、という説と、葉の一部を残して白く 変化する様子から「半化粧」から転じた、という説とがあります。
  葉の片面だけが白くなることから、むかしは片白草(かたしろ草)と呼ばれていたそうです。
  こんなに多くが群生している姿は初めて目にしました。
















  

≪26.06.01  大船フラワーセンター、蓮の開花期に特別開園≫

 鎌倉市大船にある県立フラワーセンターがはすの開花期に併せて特別開園されます。 特別開園の日時は次のとおりです。

     7月12日(土)   午前7時〜午後5時
     7月13日(日)   午前7時〜午後5時
     7月19日(土)   午前7時〜午後5時
     7月20日(日)   午前7時〜午後5時

 蓮池の蓮が鑑賞できますが、それに加えてたくさんの種類の蓮のうち、その日に開花期を迎える 樽植えの蓮も毎日展示されることになっています。

       入園料     65歳未満    360円
               65歳以上    100円

 特別開園のお知らせは、大船フラワーセンターのHPには6月中旬にアップされる予定です。

 平成24年7月の開園50周年感謝の日の特別開園の様子については
こちらをご覧ください。



≪26.02.01  (エッセー)としつきの速さ≫

早いものだ、今日は2月1日。ついこの間新年を祝ったばかりなのに、もう2月。あっという間に1か月が過ぎ去った。 このひと月、自分は何をしたのだろうか、何もしないうちに、1か月が過ぎた。本当にあっという間に、1か月という時間が どこかに飛んで行ってしまったかのようである。

こんなふうに、年月の早さを嘆くようになったのはいつごろからだったろうか。近年は年ごとにそういう思いは強くなる一方で あるが、初めてそういう思いを抱いたのは、おそらく50代に入ってからだと思う。そういう思いを抱いたものの、 格別の対処も講じなかったものだから、年年歳歳、ただただそういう思いと一抹の苦味は、じわりじわりと強さを増して きている。

若いころの時間の経過はどんな具合であったろうか。

物心も付いた小学校の頃。1年経てばいやおうなしに進級する、教科書も当然のことながら変わる。このころは1年1年、 やらねばならないことがいっぱいあって、それに懸命に挑んでいたころだ。

中学校時代にしたって同様。高校生時代に至っては一層そのことは明確になる。高校1年で高校生活の楽しさをかみしめ、 2年になったら修学旅行もあったし、生徒会活動もあった。3年は受験勉強。1年1年、やらねばならないことを明確に 認識できたので、ただそのやらねばならない事に打ち込んだということだ。

大学生時代だって同じことだ。1年で大学生活になれたと思ったら、2年には専攻学科を決めなければならなかったし、 3年では少し勉強もしたし、4年には卒論に挑んだ。1年、大変だったなあ、とか長い1年だったなあ、と感じることも当時は あったと思う。

1年1年を、他律的ではあるが精一杯生きなければならなかった。漫然と過ごすというようなことは許されなかったと 言っていい。

サラリーマンになってからは少し様子はことある。1年1年の進級という制度こそなかったが、1年たったら後輩が入社してきて 自分たちは2年目社員になる。そういうこともあって、年次にふさわしい一人前の会社員になりたい、と、真剣に仕事に 取り組んだものだ。だから1年たった時点で自分がどれほど成長したか顧みることもした。最初の数年間は毎年そういう具合に 1年を振り返って、1年の自分の進歩を確認できたものである。他律の世界から自律の世界へ。

30代、40代は、日々、新しい課題に直面しなければならなかったから、1年が本当に長く感じられたものだ。

60代の終わりの今となって気が付いた。会社を退職してから、挑戦的に毎日を過ごすことがなくなってしまった。 そのことが、時間が早く過ぎると感じる大きな要因ではないだろうか。

現役を退いてもやるべきこと、やりたいことは多々ある。しかしそれらのやりたいこと、やるべきことは、 万一できなくてもだれからも責められないし、第一、自分自身が自分を責めようとしない。現役を退いたので、 他律的に課題を求められることは少なくなった。いろいろな団体に属していても、仕事で属しているわけでなく、 報酬も得ていない場合には、他律的な強制はまず感じられない。

ここまで考えてきて気が付いたことだが、誰からも強制されず、束縛もされず、悠々自適的に暮らすことが、 セカンドライフの理想として語られることが多いが、ここに落とし穴がある。強制されず、束縛されず自由に生きる、 ということが実はその日その日の思い付きで生きることになっていないか。毎日を自由に、気ままに、思い付きで 生きていると、時間がたつのは早い。

時間が経つのが早いと感じたり、長い1年だと感じたりする、その感じ方の違いは、実は時間の使い方の違いではないだろうか。 時が経つのが早いと感じるのは、時間をあまり積極的に生きてこなかったから、時間を活かしてこなかったからではないだろうか。 時間を有意義に過ごしてこなかったからではないだろうか。

だからと言ってこの年になって、他律的強制の世界に入ろうというのではない。今更他律的世界に入ろうとしてもなかなか 難しい。結局、他律的ではなく自律的に、自らに対し、時間を区切った具体的な課題を与えることが、時間を有意義に過ごし、 時間を生かすことにつながると思う。自律することしか解決策はないのではなかろうか。

確かに思い当たる。日記帳もつけてはいる。新年の抱負も一応は書く。しかしそれは実行の強制も、実行のスケジュールもない、 単なる願望である。願望を抱くだけでは願望は実現しない。

遅まきながら、1月遅れで、新年の計を具体的に考えることにしよう。


≪26.01.14  (エッセー)トイレが教えてくれたこと≫

 何か月も前のことになるが、都心の大学キャンパスの法文系の教室での講演会に出かけた ことがある。講演会の内容も有益であったが、それとは別に、ひとつ、小さな発見と驚きが あった。
 それは、トイレに温水洗浄便座、いわゆるウオシュレットが設けられていたことである。
 学生時代から、はや何十年と経ってしまったが、私の学生時代には、トイレに温水洗浄便座 を設けるという発想は大学側にも、トイレ利用者の側にもなかった、落書きがあったりして、 どちらかといえば汚いところで、あまり利用したくないところであった。そもそも世の中に 温水洗浄便座そのものが存在していなかったと思う。だから、かって世話になった大学の男性 用トイレに設けられた温水洗浄便座を目の当たりにして驚いた次第である。
 温水洗浄便座は、日本においては突出した普及率らしいし、デパート、スーパー、映画館等、 人が集まるところでは必ずといっていいほど見かけるものであるから、,それが大学のトイレに 設けられるのは驚くにはあたらない。私立・国立を問わず、快適に学問にいそしめる環境は 大学にとって不可欠だ。現実に大学のトイレに温水洗浄便座が鎮座している光景を目にすると 結構「さま」になっていて、今日においては、温水洗浄便座は大学のトイレには不可欠なもの だという気にもなってくる。

 学問の府がそういうことであるならば、それでは、納税者がさまざまな要件で集う市役所の 市民用トイレはどうなっているのか。私が住んでいる鎌倉市を例にとって調べてみることに した。
 鎌倉市役所のトイレには温水洗浄便座は設けられているか。設けられているとすればその 個数は?市役所の建物の話だから所管は総務部管財課である、ということも確認できた。早速 そこに出向いて尋ねたところ、すぐには答えられない、調べておきます、とのこと。
 一週間ほどして、あらためて出向いて問い合わせてみたところ、回答をきちんとA4の 紙二枚に整理してくれていた。
 男子用のトイレの場合、本庁舎の一階・二階ともにトイレは三カ所、便座の数は各トイレに 二つだから計六つ。そのうち一階の一つと二階の二つが温水洗浄便座である。
 鎌倉市役所の男子用トイレにはたしかに温水洗浄便座はある。しかし、目下のところは、 探せば何とか見つけられる、といったところか。
 念のため、と思ってその温水洗浄便座を何食わぬ顔を装って、実地検分してみた。
 そこでまたまた発見した、そしてこの発見にはまたまた少しばかりの驚きがあった。管財課 作成の資料には載ってなかったが、その男性用の温水洗浄便座の傍らには、ベビーキーパー、 すなわちお父さんが用を足している間赤ちゃんを安心して座らせておけるシートが用意されて いたこと。そしてまた、男性用トイレの隣、車いすの人と共用の「みんなのトイレ」の脇には、 お父さんが赤ちゃんのおむつを取り替えるためのベビーベッドも設けられていたこと。人々の ニーズを取り込むのがどうしても遅れ遅れになるのがお役所というもの、と思って来たその 鎌倉市の市役所のトイレで。
 そこで今度はおむつ替え用のベッドがいったいどれほど備わっているか、再度実地検分を試みた。
 わかったことは、二階のトイレ三カ所のうち二カ所(女性用トイレと共用トイレ)におむつ 替え用ベッドがあるいうこと、一階のトイレ三カ所には男性用トイレに一つ、共用トイレに 二つと、三カ所共におむつ替え用ベッドが用意されているということだ。
 一階、二階の六つのトイレのうち五つのトイレにはおむつ替え用のベッドが用意されている ということになる。
 そこでさらに、少し調子に乗って、一階の受付の女性に、しらばっくれていじわる質問を 試みた。
 「あの、息子が明日か明後日に、乳児を連れてこちらに来るんですが、おむつの取り換え をするところはありますでしょうか。」
 「えー、ちょっと待ってください(備え付けのノートをくくって)、ありますよ、共用トイレ にベビーベッドが用意してあります。場所はですね、そこを左にまがった突き当りです・・・」
 違うんだよな。「あのですね、違うんですよ・・」と言いかけたけれども何とか気持ちを 制して口をつぐむことができた。
 「一階にはトイレが三カ所ありますが、いずれのトイレにも男性も使えるベビーベッドが ありますよ」が正しい回答。

 子育ての日常からはすっかりご無沙汰している年齢になってしまったが、かつてのあの頃を 思い出してみると、子供のおむつの取り換えなんて、自分の家の中でも、数えるほどの回数 しか経験していない。ましてや外出先でなんて・・・・。男性用のトイレの中に、あるいは その脇に、ベビーキーパーやベビーベッドも用意されているのを目のあたりにすると、時代が 確実に変わっていることを思い知らされるし、大げさに言えば、自分自身を少し時代に取り 残された存在として意識せざるを得ないほろ苦さを覚える。
 子育てを妻に押し付けて何の疑問も感じずに生きてきた私たちの世代と、ごくごくありふれ た当然のこととして男も育児に従事する今の若い世代。私は、温水洗浄便座の有無やその数を 調べようとしたけれども、ベビーキーパーやベビーベッドがどれだけあるだろうか、などと いう問題意識は全く念頭に浮かんでこなかったが、今を生きる育児世代にしてみれば、ベビー キーパーやベビーベッドがしっかり用意されているのかどうかこそが、切実な問題なのであろう。
 わたしも含めて高齢者はだれでも、心身ともにいつまでも若くありたい、などと殊勝なこと を言う。その心がけ自体は結構、結構、大いに奨励されてしかるべきものだろう、毎日を自立 して生きるためのなにがしかの支えになってくれるのであるから。
 しかし同時に、さらに一歩進んで、現実の在り方として、わたしたち高齢者が同じ社会に 生きる若い世代の人々の思いをどれほど理解しているか、若い彼らと価値観を共有している 部分はどれほどであろうか、という問いに思い至ると、途端に殊勝な物言いも力萎えてくる。 たまには自らにそういう問いかけをしなければ、と思う。そういう理解と共有があって始めて、 高齢者が社会において、本当の意味で心身ともに若くあることを可能にしてくれる道が開ける のではないだろうか。
 鎌倉市役所のトイレも大事なことを教えてくれた。


≪25.10.17  10月受給分から減額
         ――恩給期間のある公務員の高額年金≫

(この記事は平成25年10月17日ブログ型サイト『マネーの達人』に掲載されたものです。)

 厚生年金、共済年金、基礎年金を問わず、また年金額の多少にかかわらず、公的年金受給者 の年金額は、物価スライド特例に伴う上乗せ支給分2.5%の是正(正常化=引下げ)の第1弾と して平成25年12月受給分から1%分引き下げられます。
 国家公務員・地方公務員については、これとは別に10月受給分から年金額が引き下げられる 方がいます。引き下げの対象となる方は、共済組合の施行前の恩給期間の時から公務員として 勤めていた人です。国家公務員の場合は昭和34年10月より前の期間、地方公務員の場合は昭和 37年12月より前の期間が恩給期間です。対象となる方の年齢は概ね70歳以上の方です。
 恩給期間の保険料は、事業主負担が4.4%で、本人負担は2%でした。共済年金発足時の保険 料負担は事業主負担が4.4%で本人負担も4.4%でした(計8.8%)。恩給期間に係る給付も、 共済年金として支給されることになりましたので、恩給期間の保険料のうち、本人が負担して いなかった部分(4.4%―2%=2.4%)がかねてから問題視されていました。被用者年金一元化 法によりこの部分の減額が決定したわけです。
 実務的な取り扱いは次のとおりです。

【年金額改定の対象者】
 年金額の計算の基礎になっている共済組合員期間に恩給期間がある人のうち、基礎年金と 共済年金(国家公務員・地方公務員)を合わせた額が230万円を超えている人。

【改定後の年金額】
   次の@〜Bの方法により計算した結果のうち、最も多い額が改定後の年金額となります。
@現在の年金額(共済年金+基礎年金)から、恩給期間に係る部分の27%を減額した額
A現在の年金額から全体の年金額10%を控除した額
B230万円

【計算例】恩給期間があり、退職共済年金と老齢基礎年金を受給している方の場合
 ・現在の年金額    退職共済年金   210万円
            老齢基礎年金    60万円
 ・退職共済年金の額の計算の基礎となっている組合員期間   35年(420月)
 ・そのうちの恩給期間                   7年( 84月)
 ・年金額のうち恩給期間に係る部分 (210万円+60万円)×84月/420月=54万円

 退職共済年金210万円+老齢基礎年金60万円=270万円となり、230万円を上回っていますので 年金額改定の対象になります。

◎上記@による計算額
  270万円(210万円+60万円)−54万円×27%≒255万円

◎上記Aによる計算額
  270万円(210万円+60万円)−270万円×10%=243万円

◎上記Bの額    230万円

 この計算例の場合、@〜Bにより計算した額を比較しますと、@により計算した額が最も 多い額になりますので、改定後の年金額は、退職共済年金は約195万円(210万円−約15万円)、 老齢基礎年金は60万円、合計255万円となります。



≪25.06.27(年金エッセー)
老齢基礎年金の受給者利回りについて 実は相当な高利回り≫

(この記事はブログ型サイト『マネーの達人』に寄稿したものです。)

  国民年金の保険料を40年間しっかり払った場合、その後に受け取る給付(老齢基礎年金に 限定)は、どのような運用利回りになるのでしょうか。一定の前提を置けば、年金終価率、終価 率、年金現価率を使って簡単に算出できます。

  (前提)
20歳から60歳までの40年間期始払いで保険料180,480円を支払う。
60歳から65歳になるまでの5年間、それを据え置く。
65歳になった日から毎年期始に766,400円を受給する。
物価指数・賃金水準は平成25年当時と変わらないこととする。

  これらの前提について若干説明します。

・国民年金の保険料は、翌月末日が支払期限です。しかし2年以内であればいつでもペナルティ なしで納付できます。1年単位の前払いも可能ですし、その場合は保険料の割引もあります。   一方年金は、2ヶ月ごとの後払いです。
  このように保険料の支払い条件も、年金の受け取り条件もよく似ていますので、計算の 便宜を図る意味で、保険料も年金給付も共に年間分の期始払いといたしました。
・年金額766,400円は、物価スライド特例水準の解消時の年金額です。
・国民年金の保険料は物価に比例して上下します。年金もマクロ経済調整の下では、物価や 賃金の水準に比例して上下します。ここでは物価も賃金水準も平成25年当時と変わらないと いう前提、言い換えればマクロ経済スライドは適用されないという前提で計算しています。

ケース1    15年(79歳まで)受給するーーー男性の平均寿命

ケース2    22年(86歳まで)受給するーーー女性の平均寿命

ケース3    26年(90歳まで)受給する

(回答)
ケース1  1.4 %
180,480円 × 40年年金終価率 × 5年終価率 ÷ 15年年金現価率 =766,400円
        (53.8786)    (1.072)    (13.6335) (764,597)

ケース2  2.3 %
180,480円 × 40年年金終価率 × 5年終価率  ÷ 22年年金現価率 =766,400円
       (65.9736)    (1.1204)    (17.5081)  (761,962)

ケース3  2.6 %
180,480円 × 40年年金終価率 × 5年終価率  ÷ 26年 年金現価率 = 766,400
        (70.7098)  (1.1369)      (19.2154)  (755,060)

  20歳から死亡するまでの60年間、67年間、71年間の長きにわたって一貫して1.4%、 2.3%、2.6%の利回りを確保するということですから、これは相当の高利回りと考えら れます。

  国民年金の、有利性を別の言い方で表現すると次のようになります。
  40年間に払う保険料は7,219,200円。これは年金額766,400円の9.4年分に相当する。
  65歳から10年生きれば元が取れる。
  これに加えて、障害になった場合、65歳からではなくその時点から、障害年金が終身に わたって支給される制度も付加されている。

  若いころ国民年金の保険料を払わなかったり、免除手続きを怠ったために、老齢基礎年金 をもらえない方、もっと悲惨なケースとしては保険料納付要件を満たすことができずに障害 年金を受給できない障害者が少なくありません。保険料を払わないことを慫慂するような発言 に惑わされないことを望みます。




≪25.05.22(年金エッセー)少しずつ変わりつつある公的年金
              ――60歳になっても年金はもらえない≫

(この記事はブログ型サイト『マネーの達人』に投稿したものです。)

  公的年金が少しずつ変わっていきます。いや、もうすでに少しずつ変わりつつある、と いう言い方が適切でしょう。

  変わりつつあることその1。
  昭和28年の4月2日以降に生まれた男性は、今年の4月2日以降に60歳になります。 しかし60歳になったからといって、上の世代の人のように特別支給の老齢厚生年金が支給
されるわけではありません。支給されるのは、28,29年度生まれの方は61歳から、 30、31年度生まれの方は62歳から。このように生まれ年の2年度刻みで特別支給の老齢 厚生年金の支給開始年齢が1歳ずつ後ろ倒しになります。そして昭和36年度以降生まれの 男性は、年金支給開始年齢は65歳になります。
  今から13年後の平成38年度からは男性の年金受給開始は65歳からになるわけです。
  この話には、補足事項がいくつかあります。まず第1に、サラリーマン経験がなく、一貫 して自営業者として国民年金だけに加入してきた方にとっては、もともと老齢基礎年金は65 歳支給開始であったし、「特別支給の老齢厚生年金」とは無縁であったということ。
  第2に、65歳からの老齢厚生年金・老齢基礎年金を60歳〜64歳に繰り上げて受給 することができるということ。ただし、これには年金額が減ることをはじめとしていくつかの デメリットもあるということ。

  変わりつつあることのその続き。
  今年の10月から年金額が1%減額されるということ。平成26年4月にも同じく1% 減額され、さらに平成27年4月には0.5%減額されるということ。
  このように年金の額が計2.5%減額された後は「マクロ経済スライド」による給付水準 の調整が行われます。給付水準の調整とは、端的に言えば年金額の減額です。

  いやいや、むづかしいことがたくさん続きますね。

  年金は裕福な人もそうでない人も含め、国民全員のためのもの。難しいからといって敬遠 していてはせっかくの「共有財産」が綻びてしまいます。

  むつかしいことを分かりやすく解きほぐすことに努めたいと思います。



≪25.03.30今年の桜、咲くのも早い、散るのも早い≫

  今日、月末の土曜日。桜があっという間に満開となり、すでに散り始めました。わたしの 住んでいる団地の小公園の桜は、2分咲き、3分咲き、7分咲きを通り越して一挙に満開に至った、 という感じです。桜がその花びらの豊かさを、少しずつ、少しずつ、増してゆくのを確かめる 楽しさは、残念ながら今年は味わえませんでした。その代り、あッという間の満開のあでやか さに驚かされました。
  満開はすなわち散り始めでもあります。このころの桜が、桜の美しさの最たるものである と、私は思います。

  本日はフラワーセンター大船植物園で、園長による「花さんぽ」が開催されました。園長 の案内で桜をはじめ、今を盛りの花々を鑑賞しました。

  以下はそれらのスナップ写真です。

わたしの住いの団地の小公園の桜



近くのお宅の枝垂れ桜



隣の団地の小公園「城宿どんぐり公園」の桜



近くのマンションの駐車場の桜



フラワーセンター大船植物園の桜「桐ケ谷」



フラワーセンター大船植物園の桜「白妙」



フラワーセンター大船植物園の桜「手弱女」



フラワーセンター大船植物園の桜「大島桜」



フラワーセンター大船植物園の桜「染井吉野」



フラワーセンター大船植物園のシャクナゲ、左が「春一番」、右が「吉野」



フラワーセンター大船植物園のシャクナゲ「太陽」



フラワーセンター大船植物園の花菜


≪25.03.17山脇直司教授の最終講義を聴講
               ―「共生のためのグローカル公共哲学」≫

本日は、東京大学駒場キャンパスで行われた山脇直司教授の最終講義を聴講しました。
テーマは「共生のためのグローカル公共哲学」です。約200名の聴講者で、補助椅子で聴講する人 もいるほどの盛況でした。

この最終講義では教授の学問の総集成の要約が教授自身の言葉で語られ、その授業には出 たことのない私にも大変理解しやすいものでありました。

A4の用紙3枚分のレジュメは、公共哲学とは何か、グローカルな公共哲学とは?、共生の ためのグローカル公共哲学、等内容豊富で、かつとてもわかりやすいものでした。

レジュメには、「グローカルな公共哲学」について

  "論者が一体どのような視座で公共的諸問題と取り組んでいるのかを明確に   しつつ、現場や地域の文化的伝統、歴史、自然環境というレベルでの多様性   を尊重しつつも、globalismにもlocalismにも陥ることなく、transversal   (横断媒介的で普遍的)な公共的諸価値(平和、正義、人権、福祉、環境など)   と「よりよき公正な諸社会」を論考する学問と言えよう。"   "多種多様な現場や地域において公共世界にかかわる人々がグローカル公共哲学の   ステークホルダー(担い手、利害関係者)と言いうる。"   "(それぞれのステークホルダーが、それぞれが関わる公共性とは何かを現場で問い   続けることによって初めて)グローカル公共哲学は、理論的には「開かれたテキスト」   として、実践的には「現場でのツール」として、「より良き公正な社会の実現」に貢献   しうるであろう。"

とあります。

社会貢献活動に若干ながらもかかわっている一市民にとっても、とても力づけられて有益 最終講義でありました。


≪25.03.07(エッセー)3月7日の梅の開花≫

今年は寒さが厳しかったせいなのか、、庭の梅がなかなか花を開かない。小さな庭に白梅 が唯1本あるのみであるが、わずか1本とはいえ、狭い庭の1本であるだけに季節が来てもそ れが花開かないと心淋しいものだ。

昨年に、剪定を少し大胆に施したものだから、ひょっとしたらそのせいかもしれない、と 心配していた。2月の中旬に旧江ノ島道をハイキングしたときには、藤沢市の海岸に近いあた りではすでにあちこちで、梅の花が、紅や白の色を競っていたものであった。鎌倉市の北部 で、しかも山を切り開いて開発した住宅地だから、拙宅の梅の木の花開くのが遅くなるのも仕 方あるまい、とにかくいつでもいいから咲いてくれさえすれば、となかばあきらめていた。

3月3日の雛祭りの日は寒さの厳しい日だった。その翌日から暖かい日が続いた。

そして今日3月7日、朝、庭に下り立ったら、首尾よく梅の木に白い花が開いていた。 いつもの年と同じ小さな白い花びら。これで何とかそわそわする気分も収まった。

遅かった梅の開花。遅かったけれどもこれからは、色とりどりの花が妍を競うように相次 いで開く。黄梅も、連翹も、辛夷も、桃も、咲き分け桃も、白木蓮もシャクナゲも。そして 桜も。私の住いの近くには小公園がいくつもあって、そこには必ず桜とか雪柳とかの木が植樹 されていて季節が来ればたくましく花を開いてくれる。ご近所の住宅の庭でも、辛夷であった り、白木蓮であったり、桃であったり、咲き分け桃であったり、あるいは枝垂桜であったり、 あれやこれやの木が道行く者の目を楽しませてくれる。

草や木の生命力が一斉に躍動する時期。いい季節である。

そして。

今日が3月7日なのだから4日後には3月11日を迎える。

震災が止んだ後に迎える2回目の3月11日だ。幸いにして身内には命を失ったものは いない。それだけにあの震災のことを自分の身に引き寄せて考えるのはなかなか難しい。そう であれば、あの震災によって、自分の身に何が起こったのかではなくて、私たちこの社会に住 む者にとって何が起こったかを考えればいいのではないか。それなら私にもできる。

多くの人の死。自分の知っている固有名詞で語れる人の死ではないけれども、多くの人の 死。海で働く大人、お店の店主、自宅の掃除や草取りをしていた家庭の主婦、海岸を散歩して いた老夫婦、自宅や施設でふせっていたお年寄り。学校で勉強していた生徒たち。先生たち。 市役所の職員。自転車や自動車で会社や家庭を訪問していたセールスマン。ガスや電気の使用 量点検のために家庭を回っていた人、公園のベンチで読書していた大学生等々。他にもまだ まだいくらでもいらっしゃる。書き尽くすことは不可能だ。

多くの方の死。同時の死。多くの方のそれぞれの生の突然の喪失。さまざまの方のさま ざまの生の同時一瞬の喪失。

恐ろしい出来事であった。

わたしたちにできること、私たちがしなければならないことの最初のことは、その死を悼 むこと。

それぞれの死、さまざまな生の喪失の追悼。

そして生き残った人は次には原子力発電所の爆発による放射能で苦しんでいる。家は津波 にさらわれなかったけれどもその住み慣れた家に住むことができない人もいる。放射能は拡散 し、その被害はすでに、福島・岩手・宮城にとどまらない広い地域に及んでいる。

広島・長崎の原子爆弾、第5福竜丸の放射能被害。日本は世界でも最初の原子力被害国で あって、原子力の危険と恐ろしさについて、世界中に警鐘を鳴らすことが日本の、人類に対す る使命だと思って来たけれど、東北大震災による原子力発電所の事故によって、日本は、ある いは人類に対する、原子力加害国になってしまったのかもしれない。

津波、原子力発電所の爆発。恐ろしい出来事であった。

津波の被害といい、原子力発電所による被害といい、一体何がどのような原因で生じた のか。

わたしたちにできること、私たちがしなければならないことの2つ目のことは、何がどの ようにして起こったのかを究めること。

草木が萌えはじめ、自然の生命力が開花せんとするこの時期に、燃え出ずる生命の力に励 まされながら、お亡くなりになった方々の死を悼みたい。自然の豊かな力に抱かれながら心か らの追悼の念を捧げたい。そのことによって、私たち自身の心の平安を確保することができる。

そして同時に、未来に向けて、私たちが何をしなければならないか、を考えたいと思う。 わたしたちの身近な未来。わたしたちの次の世代の、少し先の未来。そしてもっともっと先の 未来も。

過去を悼み、未来を想う、3月をそういう月にしたい。


≪25.03.07庭の梅が花開きました≫

今年は寒さが厳しかったせいなのでしょうか、庭の梅がなかなか花開きません。

歩け歩け運動「早春の旧江ノ島道を歩く」にも書いた通り、藤沢の、海岸に近い 地区ではすでに2月中旬に梅が花を開いておりました。 鎌倉市の北部で、しかも山を切り 開いて開発した住宅地ですから、花開くのが遅くなるのも仕方ない,とあきらめておりました。

3月3日の雛祭りの日は、確か寒さの厳しい日だったと記憶しています。翌日から打って 変わって暖かい日が続いておりました。そして本日3月7日、首尾よく梅の花が開きました。

自然の世界では、これから色とりどりの花が、次から次へと咲き誇ってくれます。いい 時期になりました。

もうじき3月11日。

春、いい時期になりました、という思いで、この日を迎えられるようになりたい。明日 への明るい希望で胸を膨らませながらこの日を迎えられるようになりたい。

そのためには私たちは何をしなければならないのか。今年の「3月11日」はそれを 考える日にしたいと思います。






≪25.02.17歩け歩け運動「早春の旧江ノ島道を歩く」≫

ぐずついた天気が続いた後、本日は久しぶりの快晴。地元のスポーツ振興会主催の歩け歩 け運動の行事「早春の旧江ノ島道を歩く」に参加しました。

江戸時代初期に杉山検校が寄進した「江ノ島弁財天道標」を確かめながら、新林公園、蜜 蔵寺(真言宗、相模国准四国八十八箇所十七番札所)、常立寺(日蓮宗)を経て江ノ島まで。 常立寺では、思いのまま、紅梅、あおじくと名付けられた三本の枝垂れ梅に目を引かれました。

七キロ強の行程でしたので、久しぶりにいい運動をすることができました。

散会後、仲間と連れ立って江ノ島散策に出かけました。まずは遊覧船で岩屋まで。空気が 澄んでいましたので富士山がきれいでした。風もなく、波も静かな海でした。

岩場で、三人ずれの若い方から、あれが富士山ですよね、と尋ねられ、少しびっくりしま した。四国からいらした方で、江ノ島からこんなに間近にみられることに驚いておられたよう です。

知人が羊羹屋の店頭で接客していました。この店は知人の一族で経営しています。江ノ島 名物「海苔羊羹」を買う。結構いい味でした。


≪24.12.29見ごたえがあったメトロポリタン美術館展≫

師走も押し迫った12月の29日に、東京都美術館で開催されている「メトロポリタン美術 館展――大地、海、空―4000年の美への旅 西洋美術における自然」に出かけました。   この時期になりますと、多くの美術館が閉館になりますが、この美術館は年末年始の休館 日は、12月31日と1月1日のみ、と、忙しくてなかなか美術館に足を運べない身にとっては大変 ありがたいことです。このありがたさが好感を呼んだのでしょう、来館者数は閑散としている どころか、師走の29日とは思えないほどのにぎわいでありました。

展示内容はとても見ごたえがありました。美術展名のサブタイトルの意味する通りの内容 でした。展示物の多様性は特筆すべきです。絵画、工芸作品(素材は金、銀、銅、象牙、大理 石、ブロンズ、ガラス版等)、陶芸作品、レリーフ、タペストリー、テーブルカーペット、 刺繍、織物等。制作年代も、なんと紀元前2000年〜1600年にさかのぼる石工芸品:「カエルの 分銅」から、20世紀に至るまでの広がり。ですから、ゴッホ(日本初公開の「糸杉」ほか)、セ ザンヌ、ターナー、モネ、ゴーギャン、クールベ、ルソー、ミレー、ルノワール等の作品の展 示数もそれぞれ1つか2つのみ、というように、ある意味でとても贅沢な内容の展示でした。

文字通り、西洋美術が――ということはすなわち、人類が――自然をどのように芸術作品 として表現してきたか、4000年にわたって顧みることができました。

世界でも有数の規模を誇る美術館のコレクションによる展覧会であって、なおかつ、企画 者にいい人を得たからこそ可能となった美術展、そのように感じました。

この美術展を鑑賞しまして、あらためて自然の偉大さを痛感しました。自然は、人類が誕 生する前に既に存在していたということ、人類が誕生すると同時に人類は自然に加工を加える ことを含めて、自然と共存することを目指してきた、ということを。


≪24.12.21師走21日の瑞泉寺のもみじ≫

年末のせわしない時分になりますと、鎌倉の静かな寺院の境内に身を運びたくなります。

12月21日に、ようやく午後の半日がフリーになりましたので、市内二階堂の、紅葉が谷に 位置する瑞泉寺に行ってきました。

この寺は、1年中、なにがしかの花や木が美しく咲いているお寺ではありますが、私はこの お寺の紅葉も好きです。境内はもちろん、谷戸全体にきれいな紅葉が広がります。おそらく 12月の初旬が一番の見ごろではないかと思います。

12月の平日の21日ともなりますと、訪れる人もまばら。ご婦人のグループが一つ、カメラ マニアと思しき男性が一人・・・・

静かなひと時でありました。







≪24.9.17重度の知的障害と自閉症
――映画「ちづる」――≫

去る9月16日、鎌倉生涯学習センターホールにて、鎌倉の発達障がい児者支援グループ「フレ ンド」の主催で映画「ちづる」自主上映会が行われました。 座席300足らずの小ホールですが、ほぼ満席。

この映画は、監督・赤崎正和の立教大学現代心理学部映像身体学科の卒業制作として企画 された作品で、重度の知的障害と自閉症を持った赤崎の妹・千鶴とその母、そして自分自身を 1年にわたり撮り続けたドキュメンタリー映画です。

カメラを通して妹と対話した監督自身が、家族との新しい関係を築きあげ、精神的に成長す る過程が映像に刻印されている、という極めて稀なドキュメンタリ映画です。明るく、心優し く、何よりもみずみずしい家族の物語。

知的障害や自閉症について正しく理解し、障がい児者と正面から向き合うことができるよう になるための一助として、たくさんの方に見ていただきたい映画だと思いました。



≪24.7.16大船フラワーセンター はすの花鑑賞 早朝開園≫

神奈川県立フラワーセンター大船植物園は今年が開園50周年の年。 7月16日に「感謝の日」として、入園料無料で、様々なイベントが行われました。

その一つが『はすの花鑑賞 早朝開園』です。朝6時からはす池の花の開花を鑑賞すること ができました。早朝から沢山の愛好家が押しかけました。

はすの花は早朝に開きますが、開く日数はおおむね4日程度。開花第1日目は午前5時頃 から開き始め、8時頃には閉じ、2日目は午前7時から9時頃までにお椀型に開き、昼頃には 閉じるそうです。3日目は早朝にお椀型から皿形まで開き、午後には少し閉じますが、半開き の状態で終わり、4日目は早朝に完全開花した後散り始め、午後には花托だけが残るのだそう です。

一番美しい時は、2日目の朝の花といわれています。

今年は、本日現在でも蕾の段階のものが多く、例年よりは開花が遅いとのことです。 7月中ははすの開花が見られるとのことです。

















≪24.7.1労働政策フォーラム
「若者は社会を変えるかー新しい生き方・働き方を考えるー」》

6月30日に学術会議講堂で開催された労働政策フォーラム「若者か/は社会を変えるか―新しい 生き方・働き方―」を聴講しました。主催は独立行政法人労働政策研究・研修機構と日本学術 会議です。

当日の様子は
こちらをご覧ください。 また5名の方の講演・実践報告の資料も公開されています。

最初の講演者:本田由紀氏(東京大学大学院教育学研究科教授)の講演「社会構造の変容と 若者の現状」は問題を広い視野からとらえていて、大変参考になりました。

私自身としては、本田教授の講演の中の、次のようなキーワードがとても印象に残りました。

 ・戦後日本社会の変化と2つの世代(団塊世代・団塊ジュニア世代)
 ・戦後日本型循環モデルとその破綻
 ・「ジョブなきメンバーシップ」の正社員
 ・「メンバーシップなきジョブ(タスク)」の非正社員
 ・「ジョブ型正社員」
 ・働き方の一つとしての「ノマドワーク」
 ・ブラック企業
 ・ディーセントワーク(適正な働き方)



≪24.3.4   METライブビューイング
ワーグナー〈ニーベルングの指環 第3夜〉《神々の黄昏》

本日、横浜の映画館で、去る2月11日にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で 上演されたワーグナーの楽劇〈ニーベルングの指環 第3夜〉《神々の黄昏》の映画版を見ま した。

この作品は、序夜:楽劇「ラインの黄金」、第1夜:楽劇ワルキューレ」、第2夜:楽劇 「ジークフリート、第3夜:「神々の黄昏」で構成される大作ですが、私は第2夜の「ジーク フリート」は見逃しましたが、他3作は鑑賞することができました。

本日の第4夜:楽劇「神々の黄昏」は5時間を超える上映時間でした。劇的な最後の場面の 精神性の高さには文字通り圧倒されました。

序夜から始まって、新演出による舞台効果も見ものでした。映画では舞台裏も紹介されてい まして、オペラ劇場としてのMETの奥深さもよくわかります。

オペラ劇場での上演を鑑賞する機会はこの作品についてはあまり恵まれているとは言えませ ん。映画での鑑賞は次善の策です。

おそらく、また再上映の機会もあろうかと思います。興味のある方には是非お勧めいたしま す。

詳しくは
こちらをどうぞ。


 

≪24.1.22  平和のつどい 詩の礫(しのつぶて)in鎌倉
〜詩の朗読、ピアノ演奏、トークそして東日本大震災時のスライド上映〜≫

1月22日、釜倉生涯学習センターホールで行われた標記の集いに出かけてきました。

出演は、福島からTwitterで「詩の礫」を発信している詩人の和合亮一氏と、ピアニスト・ 作曲家の谷川賢作氏。主催は鎌倉市・鎌倉平和推進実行委員会。

和合氏の撮影したスライドで生々しい被災の実態が紹介されました。

後半は50分にもわたって和合氏が自らの詩をたくさん朗読してくださいました。

とてもいい詩であるばかりでなく、あるときは優しく、あるときは激しく、あるときは力強 くと、国語の教師でもあるからでしょうか、朗読の芸も見事で、聞きごたえがありました。


≪24.1.12  映画『エデンの東』を観ました≫

鎌倉市内の川喜多映画記念館で『エデンの東』を観ました。

この記念館は、収容人員100名足らずの小ホールですが、内外の名画を上映してくれています。

上映は1日1回で、しかも同一作品の上映は3日間に限られていますので、いい映画ですと、 チケットが完売になって、入手できないこともあります。私の経験では『居酒屋』がそうでし た。

さてこの映画、1955年の作品です。ジェームス・ディーンが抜擢されて初めて主役を演じた 映画です。観客は私と同年代の高齢者ばかり。

親と子の葛藤、双子の若者同士の葛藤を背景に、若者の傷つきやすい心、ひたむきな心を描 いた青春映画の傑作だと思います。

川喜多映画記念館については
こちらをどうぞ。



≪24.1.6  『舌耕』とは・・・・≫

1月3日のNHK教育テレビ午後9時からの番組『日本の話芸20周年スペシャル』で、ゲストの 柳家さん喬が、『舌耕』ということを語っていました。

さん喬は、この『舌耕』という言葉の意味を、落語家の話でもって人の心を耕す、豊かにし たい、という意味で使っていました。

不勉強の私にとっては、今まであまり聞いたことのない言葉でしたので、国語辞典にはこの 言葉は一体どのように記されているのか調べてみました。

少し古い辞書ですが岩波国語辞典の第1刷と、広辞苑第3版を見てみました。

『舌耕』は国語辞典には出ていません。ちなみに『筆耕』(ひっこう)は

     報酬を得て筆写をすること。またその人

とあります。

 一方、広辞苑では、『舌耕』(ぜっこう)は

     講義・講演・演説・講談など弁舌によって生計を立てること

とあり、『筆耕』は

     @写字などによって報酬を得ること。またその人
     A文筆により生計を立てること

とあります。

これらの辞典では、どうも「耕」の字の意味が希薄になっているようです。

そういえば、英語のCultureには、耕すという意味があります。

岩波英和大辞典によりますと、Cultureは

     @教養、洗練
     A文化、文明
     B修養、修練、教化
     C耕作、開拓
     D栽培、養殖、飼育
     F培養、培養菌

とされていて、Culturedは

     @教養のある、文化的な
     A栽培(養殖、培養)された

とされています。

どうも国語辞典類にある『舌耕』『筆耕』の意味は、ともに、話芸の人、文筆家が自らを 謙遜して語ったり、あるいは自嘲的に表現する時に用いる意味をそのまま持ってきているよう な気味があります。ですから『耕』の字の積極的な意味が脱落してしまっています。

このように考えると、さん喬が、『舌耕』に、『耕』の積極的な意味を込めて、落語で人の 心を豊かにしたい、聞く人の心を豊かにできるような落語家をめざしたい、と語ったことは いいことだと思います。これからは『舌耕』や『筆耕』の語は、そういう積極的な意味で使わ れてほしいと思います。


≪23.12.28  12月28日の鎌倉の紅葉≫

鎌倉の紅葉の盛りは12月です。

12月4日に天園ハイキングコースを歩きましたが、この時はまだ盛り前でした。遅まきな がら、暮れも押し迫った28日に師走の鎌倉寺院を訪ねました。

さすがに、盛りの紅葉の輝かしさは失われているものの、静かなたたずまいの中で紅葉 の残り香を十分に楽しむことができました。

写真の2つは瑞泉寺。

ちなみに、鎌倉宮に向かって、瑞泉寺の反対側に位置する覚園寺は、毎年12月20日から参拝 中止になります。







次の2枚は、余り名の知られていない妙法寺。

この寺一帯を比企谷(ひきがやつ)と言いますが源頼朝の重臣・比企能員(ひきよしかず) らの屋敷があったところです。2代将軍頼家の後継者争いの際に比企一族は北条氏の勢力に滅ぼ されましたが、乱から逃れていた末子能本(よしもと)が、日蓮上人に帰依してこの地に法華 堂を建てました。これがこの寺の始まりといわれています。道路から奥まった広い境内は静か なたたずまいを呈しています。

上は参道から祖師堂を眺めた風景。
下は祖師堂脇の比企一族の墓。







≪23.11.12  国立大学のトイレにもウオシュレットはある≫

本日は、ある講演会があり、東京大学本郷キャンパスの法文系の教室に出かけました。

講演の内容は有益でしたがその内容の紹介は別の機会に譲ることとして、ひとつ、小さな 驚きがありました。

それは、トイレにウオシュレットが設けられているということです。

学生時代から、はや何十年と経ってしまいましたが、私の学生時代には、トイレにウオシュ レットをつけるという発想は大学側にはなかった、という印象があります。ですから、男性用 トイレに設けられたウオシュレットを目の当たりにして少し驚いた次第です。

もちろん悪い意味で驚いているのではありません。

国立大学の学生用トイレにウオシュレットが設けられるのは結構なことです。私立・国立を 問わず、快適に学問にいそしめる環境は大学にとって不可欠です。今日においては、ウオシュ レットは大学のトイレには不可欠だと思います。

さてそれでは、市役所の市民用トイレはどうあるべきか。

市役所に出かけることの多い身には、ぜひ市役所のトイレにも ウオシュレットをつけていた だきたいと思うのですが、さて皆様はいかがお考えでしょうか


≪23.11.3  「横浜FPフェスタ」が開催されました≫

日本FP協会神奈川支部(支部長 町野 隆)では、金融庁、神奈川県と横浜市経済局の 後援を受けて、11月3日(木・祝)新都市プラザ(そごう地下2階正面入口前)および横浜 新都市ビル(そごう)9階ミーティングルーム(横浜市西区高島2−18−1 横浜駅東口)に おいて「横浜FPフェスタ」を開催しました。ゲーム、ワークショップ、セミナー、個別相談 など盛りだくさんの内容でした。

私も2組の方の予約制個別相談の相談員を担当しました。40代の独身女性が、マンションを 購入することに伴う資金計画についての相談と、定年直後の方の今後のセカンドライフの資金 計画についての相談でした。

また地下2階新都市プラザでのワークショップを終えたお客様のうち、ひきつづき街頭相談 に来られる方がたくさんおられました。30代、40代の方で、老後の生活費や生命保険について、 どのような備えが必要か、という相談が、件数としては多くを占めました。


≪23.11.01  認知症アンケート調査≫

ある製薬会社が行った、認知症に関する意識調査の結果が発表されました。全国の20代から 60代の男女、年代別に各100名ずつ、計1000名を対象に、インターネットで回答を求めたもの です。

それによりますと次のような諸点が明らかとなりました。

1.「現在もしくは過去に認知症の方が家族にいる/いた経験がある人(以下、認知症経験 者)の割合はおよそ30%(29.9%)である。

2.認知症経験者のうち、自ら介護している/いた人の割合は40%弱(38.7%)である。 この割合は年代があがるにつれて増加し、60代では5人に3人(61.3%)が介護経験者で あった。

3.認知症の方を介護する家族の苦労については、「本人から目が離せない」(73.9%)、 「気が休まらない」(63.6%)、「自分の時間が持てない」(54.3%)「経済的負担が大きい」 (52.8%)などが上位にあがった。

4.「現在、認知症を患っている家族がいる」と回答した人の中でも、最新の治療オプション について「知っている」のは半数以下(48.2%)であった。

詳しいことは
こちらをご覧ください。
認知症経験者が30%に達するということは注目すべきことだと思います。認知症という疾患 が、すべての国民に非常に身近なものだということを意味していると思います。

最新の治療オプションについて知っている人の割合はあまり高くありませんが、認知症の人が、 医者の治療を受け、相談したりアドバイスを受けたりすることができる環境下にあるか、と いうことが最も重要なことだと考えます。



≪23.10.27  大船駅頭年金・労働相談会≫

10月27日、神奈川県労働局と神奈川県社労士会藤沢支部主催の街頭相談会が行われました。

テーマは「労働」と「年金」です。

労働関係のパネルや資料、年金関係のパンフに、多くの人が興味を持ってくださいました。

労働関係の相談は1件あたりの相談時間が長いことが特徴です。年金関係では、厚生労働省 が支給開始年齢引き上げの構想を発表した直後、ということもあって、支給開始年齢の引き 上げは、いつ行われて、どんな方が影響を受けるのか、という質問が目立ちました。


≪23.10.22  NPO法人障害年金支援ネットワーク総会≫

10月22日、NPO法人障害年金支援ネットワークの通常総会が京都市のホテルで開催され、 私も一会員として出席いたしました。

第8期 平成22年度(平成22年9月1日〜平成23年8月31日)の事業概況については、当法人と しての最大のミッションである電話相談の件数が、前年度に比し大幅に増加したことが報告 されました。

    21年度   2484件     22年度5096件(対前年比205%)


  第9期 23年度の事業計画として
    1.コンプライアンスの一層の強化
    2.電話相談体制の強化充実
    3.広報活動の強化
等を確認いたしました。

  なお、NPO法人障害年金支援ネットワークについては
   
こちら
をご覧ください。 



≪23.10.9  神奈川県社労士会主催 そごう前街頭相談会≫

10月9日の日曜日、横浜そごう前地下2階で、神奈川県社労士会主催の街頭年金相談会が開催 されました。私も相談員として参加しました。

日曜日ではありましたが、通行の皆様はパネルのポスターに見入る方も多く、 11時から5時までの相談時間に、約200名の方が相談ブースをお訪ねになりました。




Copy right all reserved 石川勝己